京極高以

曖昧さ回避 京極高之」あるいは「京極高行」とは別人です。

京極 高以 (きょうごく たかゆき、安永6年(1777年) - 文化5年(1808年))は、江戸時代後期の高家旗本。京極高厚の長男。生母は池田氏。通称は兵勝、兵庫助。官位は従五位下侍従・近江守。

天明元年(1781年)7月8日、家督を相続する。寛政4年(1791年)12月1日、将軍徳川家斉御目見する。文化4年(1807年)4月25日、高家職に就き、従五位下侍従・近江守に叙任する。文化5年(1808年)3月23日、辞職する。高家末席に列する。同年死去、32歳。

正妻は西郷員相の娘。

四つ目結紋高家京極家当主(1781年 - 1808年)
宗家
中世
近世以降
(丸亀京極家)

分家・支流

高次流分家
多度津京極家
高知流
宮津/高家京極家
豊岡京極家
峰山京極家