ホンダ・RA300
ホンダコレクションホールのRA300 | |||||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||||
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コンストラクター | ホンダ | ||||||||||
デザイナー | エリック・ブロードレイ ジョン・サーティース 中村良夫 佐野彰一 | ||||||||||
先代 | ホンダ・RA273 | ||||||||||
後継 | ホンダ・RA301 | ||||||||||
主要諸元 | |||||||||||
シャシー | フルモノコック構造+チューブラー・サブフレーム | ||||||||||
サスペンション(前) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||||
サスペンション(後) | ダブルウィッシュボーン | ||||||||||
全長 | 3,955 mm | ||||||||||
全幅 | 1,788 mm | ||||||||||
全高 | 845 mm | ||||||||||
トレッド | 前:1,464 mm / 後:1,442 mm | ||||||||||
ホイールベース | 2,454 mm | ||||||||||
エンジン | ホンダ RA273E 2,992 cc 90度 V12 NA ミッドシップ | ||||||||||
トランスミッション | ホンダ 5速 MT | ||||||||||
重量 | 590 kg | ||||||||||
燃料 | BP シェル | ||||||||||
オイル | BR シェル | ||||||||||
タイヤ | ファイアストン | ||||||||||
主要成績 | |||||||||||
チーム | ホンダ・レーシング | ||||||||||
ドライバー | ジョン・サーティース | ||||||||||
出走時期 | 1967年 | ||||||||||
コンストラクターズタイトル | 0 | ||||||||||
ドライバーズタイトル | 0 | ||||||||||
通算獲得ポイント | 32 | ||||||||||
初戦 | 1967年 イタリアGP | ||||||||||
初勝利 | 1967年 イタリアGP | ||||||||||
最終戦 | 1968年 南アフリカGP | ||||||||||
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ホンダ・RA300(ホンダ・アールエーさんびゃく)は、ホンダが1967年のF1世界選手権用に開発したフォーミュラ1カー。1967年途中から1968年初めにかけて使用された。後述するようにローラ・カーズとの共同開発となったため、ローラ側の呼称としてローラ・T130とも呼ばれる。
概要
ホンダは1966年に開発したRA273を1967年シーズンも継続使用したが、重量超過の問題で成績が振るわず、打開策を迫られた。そこで、シーズン中に新車を開発投入するという思い切った行動に出た。イギリスのローラと提携し、エリック・ブロードレイがインディカー(ローラ・T90)をベースとしたシャシーを設計。これにRA273と同じV12エンジンを搭載するという「日英合作」だった。作業はシーズン半ばの7月に始まり、6週間の突貫作業で実戦投入された。
この背景には、藤沢武夫の決定による本田技術研究所における市販車開発要員確保のため、F1担当人員が大きく削減されシャシー開発に人員を割けなくなったこと、さらにドライバーのジョン・サーティースが当時ローラの大株主であったため、ローラの協力を得やすい環境だったことが挙げられる。ローラのファクトリーで製作されたマシンは「ホンドーラ Hondola」とあだ名された。
ブロードレイの設計したRA300は自社製作のRA273よりもはるかに軽量で、ハンドリングも良好であった。車体単体でもRA273に比べ約70kgの軽量化を果たし、エンジン・ギアボックスのマグネシウム合金化による軽量化も加えた結果、車重は約610kgにまで削減された[1]。ただしそれでも当時のレギュレーション上の最低重量(500kg)よりは100kg以上重く、ライバルに対しハンデを背負っている状況には変りなかった。
デビュー戦となったイタリアGPで優勝を果たした。サーティースはジム・クラークのロータス、ジャック・ブラバムのブラバムを最終ラップでリードし、クラークは燃料切れ、ブラバムはコースを膨らみサーティースが優勝した。しかしながら、RA300がトップを走ったのはこの最終ラップのみで、その後は勝利することは無かった。同シーズンの残りは最終戦メキシコで4位に入ったのみで、翌1968年には南アフリカで8位、スペインからはRA300とよく似た設計のRA301が投入された。しかしながら、状況を改善するには至らず、サーティースは12戦の内完走4度という結果であった。
48バルブのV型12気筒エンジン、RA273Eは1966年イタリアグランプリに初めて投入され、搭載車両のRA273はリッチー・ギンサーがドライブした。3速ギアで後輪を100mphの速度で回転させた。シリンダーは 78.0x52.2mm、排気量2,993.17cc、12,000rpmで400-440馬力の出力が目標であった。1967年になるとRA300に搭載され、イタリアGPでサーティースがドライブ、出力は396馬力であったが、トルクとレスポンスが改善されていた。
現在はツインリンクもてぎ内にあるホンダコレクションホールに14号車が動態保存されており、イベントなどでたまに走行している。
F1における全成績
(key) (太字はポールポジション)
年 | チーム | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | ポイント | 順位 |
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1967年 | ホンダ・レーシング | ホンダ RA273E, V12 | F | RSA | MON | NED | BEL | FRA | GBR | GER | CAN | ITA | USA | MEX | 20[2] | 4位 | ||
ジョン・サーティース | 1 | Ret | 4 | |||||||||||||||
1968年 | ホンダ・レーシング | ホンダ RA273E, V12 | F | RSA | ESP | MON | BEL | NED | FRA | GBR | GER | ITA | CAN | USA | MEX | 12[3] | 7位 | |
ジョン・サーティース | 8 |
参照
外部リンク
- Honda RA300 - Honda Collection Hall
- RA300 - Honda F1ルーツ紀行 佐野教授とコレクションホールを行く
ホンダF1 | ||||||||||||||||||||||||||
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第五期 2026年 - パワーユニット供給 |
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HRC 2022年 - 2025年 パワーユニット供給 |
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第四期 2015年 - 2021年 パワーユニット供給 |
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第三期 2006年 - 2008年 ワークスチーム 2000年 - 2008年 エンジン供給 |
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HRD 1998年 - 1999年 試作・試走のみ |
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無限ホンダ 1992年 - 2000年 エンジン供給 |
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本田技術研究所 1991年 - 1994年 試作・試走のみ |
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第二期 1983年 - 1992年 エンジン供給 |
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第一期 1964年 - 1968年 ワークスチーム |
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関連項目 |
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※ 第2期・第3期・第4期の「主な関係者」は、基本的に各部門の「長(ディレクター)」以上にあたる人物のみに絞って記載(多数に及ぶため)。 ※ 「関連組織」の( )には略称、[ ]には関連する下部組織を記載。 ※1 ホンダ本社の役職者と本田技術研究所の人物を除く(兼務者が多数に及ぶため)。 ※2 ホンダ所有のサーキット。第1期と第2期に主要なテストコースとして用いられた。 ※3 ホンダ所有の展示施設。第1期から第4期の車両を所蔵(基本的に動態保存)している。 |
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ローラ (1962-1963) |
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(F2)ローラ (1967-1968) |
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ホンダ (1968) |
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エンバシー・ヒル (1974-1975) | |
(借名) ハース・ローラ (1985-1986) | |
ラルース (1987-1991) | |
BMSスクーデリア・イタリア(1993) | |
ローラワークス試作車 (1994-1995) | |
マスターカード・ローラ(英語版) (1997) | |
ローラF3000 (1985-2004) | |
フォーミュラ・ニッポン (1996-1999,2003-2008) | |
ローラの仕事をしたエンジニア |
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