クリス・フルーム

クリス・フルーム
Chris Froome
基本情報
本名 Christopher Froome
クリストファー・フルーム
愛称 フルーミー (Froomey)
生年月日 (1985-05-20) 1985年5月20日(39歳)
国籍 イギリスの旗 イギリス
 ケニア
身長 186cm
体重 69kg
選手情報
所属 イスラエル・プレミアテック
分野 ロードレース
役割 選手
特徴 ステージレーサー
オールラウンダー
TTスペシャリスト
プロ経歴
2007
2008–2009
2010–2020



2021-
コニカミノルタ
バルロワールド
チームスカイ
チーム・イネオス
イネオス・グレナディアス
イスラエル・スタートアップネイション
グランツール最高成績
ジロ・デ・イタリア 総合優勝 (2018)
ツール・ド・フランス 総合優勝 (2013, 2015, 2016, 2017)
ブエルタ・ア・エスパーニャ 総合優勝 (2011, 2017)
合計 7(伊1・仏4・西2)
主要レース勝利
ツール・ド・フランス
 総合優勝(2013,2015,2016,2017)
 山岳賞(2015)
区間通算7勝
ブエルタ・ア・エスパーニャ
 総合優勝(2011,2017)
 ポイント賞(2017)
 複合賞(2017)
区間通算5勝
ジロ・デ・イタリア
 総合優勝 (2018)
 山岳賞 (2018)
区間通算2勝
ステージレース
ツール・ド・ロマンディ 2013, 2014
クリテリウム・デュ・ドフィネ 2013, 2015, 2016
ツアー・オブ・オマーン 2013, 2014
クリテリウム・アンテルナシオナル 2013
獲得メダル
 オリンピック
2012 ロンドン ITT
2016 リオデジャネイロ ITT
 世界選手権自転車競技大会
2017 ベルゲン ITT
2013 トスカーナ TTT
2017 ベルゲン TTT
最終更新日
2021年5月20日

クリス・フルーム(Chris Froome、1985年5月20日 - )は、ケニアナイロビ出身で、イギリス国籍の自転車競技(ロードレース)選手。

来歴

ケニアナイロビで出生し、13、4歳の頃、南アフリカに移住したが、選手登録はケニア自転車競技連盟にて行った。

2006年にはツアー・オブ・モーリシャスで総合優勝。

2007年、南アフリカ籍のチーム、『コニカミノルタ』とプロ契約を結ぶ。この年、ツアー・オブ・ジャパンで来日し、第6ステージの伊豆ステージ日本サイクルスポーツセンター)でステージ優勝。その後、祖父母の故郷でもあり、レース環境が充実しているイギリスへの移住を希望。2008年にイギリス自転車競技連盟へ登録を変更、バルロワールドに移籍した[1]。同年にツール・ド・フランスに出場、完走している。なお、この時からゲラント・トーマスとはチーム・メートであった。同チームが2009年限りで解散した為、2010年よりイギリスのチームであるチーム・スカイに所属した[2]

2010年にケニアに帰国した際にビルハルツ住血吸虫に感染し、それは2018年現在も完治していないという。

2011年

ブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝のフアン・ホセ・コーボとは13秒差の総合2位に入り、グランツールを狙える選手として注目される(のちにコーボはドーピングとして総合優勝を剥奪され、フルームの繰り上げ優勝となる)。このブエルタでも、第17ステージの山岳ステージで、区間優勝目前のフアン・ホセ・コーボをゴール直前で捕えて制するという登坂力の強さを見せたが、翌年のツール・ド・フランスでさらにその力は遺憾なく発揮されることになる。

2012年

ツール・ド・フランスではエースであるブラッドリー・ウィギンスを献身的にアシスト。 山岳カテゴリー1級のラ・プランシュ・デ・ベル・フィーユ(フランス語版、英語版)への頂上ゴールとなる第7ステージではラスト1kmを切ってアタックしたカデル・エヴァンスをウィギンスと共に追走、最後はエヴァンスをスプリントでかわし2秒差を付けツール区間初優勝を果たした[3]。その後、第17ステージで、ウィギンスとの絶妙な連携を見せて、総合3位につけていたヴィンチェンツォ・ニバリを後退させ、ウィギンスのツール総合優勝に貢献する形となった。そして自らも総合2位に入った。

2年連続の参加となったブエルタ・ア・エスパーニャでは、ツールからの連戦ということもあり疲労により連日後退。前年のようなパフォーマンスは見られなかったが、個人総合で4位となった。

2013年

2013年シーズンは昨年度のブラッドリー・ウィギンスを彷彿とさせる様な強さを見せ、クリテリウム・デュ・ドフィネツール・ド・ロマンディなどで総合優勝を獲得する。

第100回ツール・ド・フランスでは、3区間を制して圧倒的な強さを見せつけ、総合優勝を果たす。あまりの強さに、一時はドーピング疑惑も出るほどだったが、検査の結果、クリス・フルームも含めて、2013年の大会出場者でドーピングの陽性を示した選手は居なかった[4]

2014年

昨年に引き続きツール・ド・ロマンディツアー・オブ・オマーンを連覇。ツール前哨戦ドーフィネでも開幕2連勝を飾り好調かと思われたが、その後のステージで落車に遭うなどし総合優勝には程遠い結果となった。

ツール・ド・フランスはフルーム自身初の防衛大会となったが、雨の中の第5ステージで2度の落車に見舞われリタイアに終わった。ブエルタ・ア・エスパーニャではアルベルト・コンタドール等との激しい争いの末に総合2位となった。

英仏海峡トンネルのサービストンネルをTTバイクを使用して55分で走破している。このイベントはジャガーとチームスカイのコラボレーションで開催され、イギリス・フォークストン側から走り始めた[5]。公式に自転車でトンネルを渡ったのはこれが初となる。

2015年

ブエルタ・ア・アンダルシアクリテリウム・デュ・ドフィネで総合優勝。ツール・ド・フランスでは、この年のジロ・デ・イタリアを制したコンタドール、前年の覇者ヴィンチェンツォ・ニバリ、ナイロ・キンタナと共に「4強 (Fantastic Four) 」[6]と呼ばれて優勝候補に挙げられた。総合1位で迎えた第10ステージで優勝して他の優勝候補に大きな差を付けると、アルプス山岳ステージの第19、20ステージでは逆にキンタナに引き離されて総合タイム差を詰められたが守り切り、2度目の総合優勝と初の山岳賞獲得を果たした。

2016年

ツール・ド・フランスでは、ピレネー3連戦の2日目の第8ステージ、最後の1級峠ペイルスルド頂上より集団から飛び出し、高速ダウンヒルでマイヨ・ジョーヌを獲得。第12ステージのモン・ヴァントゥにて、沿道から溢れた観衆によりストップしたカメラバイクに追突し自転車が破損、代替車が来るまでランニングするというハプニングもあったが、山岳個人タイムトライアルの第18ステージでも優勝するなど終始安定し、2位と4分5秒差をもって3度目の総合優勝を果たした。ダブルツールも視野に入れて出場したブエルタ・ア・エスパーニャでは、得意の個人TTで逆転可能な総合タイム差でキンタナをマークし続けていたが、第15ステージで序盤からアタックしたキンタナやコンタドールらをスカイのアシスト勢が取り逃がし、この際に付けられたタイム差も響いて総合2位となった。

2017年

この年はツールをシーズン未勝利で迎えた。第1ステージの個人タイムトライアルで6位につけると、大会最初の山岳コース[7]となった第5ステージを3位でゴールし、総合首位となってチームメートのゲラント・トーマスからマイヨ・ジョーヌを受け継ぐ。ピレネーの壁とも言えるペイラギュードへの頂上ゴールとなった第12ステージではゴール目前でロマン・バルデファビオ・アルらに引き離され、マイヨ・ジョーヌをアルに奪われる。しかしパンチャー向きのコースである第14ステージで、フルームはステージ優勝したマイケル・マシューズらに続きステージ7位に入り、アルはアシストを受けられなかったこともあって[8]遅れてしまい、再びマイヨ・ジョーヌを奪取。第20ステージの個人タイムトライアルでステージ3位に入り事実上ここで総合優勝を決定づけ、最終第21ステージも無難に乗り切り4度目の総合優勝を果たした。

4年連続出場で悲願のブエルタ・ア・エスパーニャ制覇を狙いブエルタに出場。初日のTTTでライバルたちから奪ったリードを生かし第3ステージ終了後に総合首位に浮上する。第9ステージ、2年前トム・デュムランに敗れたクンブレ・デル・ソルへの頂上フィニッシュで優勝し、先月のツールで果たせなかった区間優勝を手に入れた。個人タイムトライアルの第16ステージではウィルコ・ケルデルマンに29秒差をつけ2度目の区間優勝を果たし、第20ステージのアングリル頂上フィニッシュでもステージ3位と堅実な強さを示して念願の総合優勝を果たした。また、ポイント賞と複合賞も獲得したうえ、ダブルツールを達成するという偉業を成し遂げた。

サルブタモール基準値越え問題

2017年12月3日、UCIはブエルタの第18ステージに当たる9月7日のドーピング検査から、基準値を上回るサルブタモールが検出されていたことを発表した[9]。フルームは以前から喘息の治療のために吸入器でサルブタモールを使用しているが、ドーピング検査で基準値を超えたことはなかった。UCIはフルームに対し説明を求め、チーム・スカイやフルームはあくまで治療の一環であり、基準値を超えた吸入はしていないと主張したが、出場停止や成績剥奪の可能性もあった[9]

2018年

2018年シーズンは、春先からあまり芳しい成績を上げることができず、ジロ・デ・イタリアでも前半の山岳ステージで他の有力選手から引き離され、前年引退したコンタドールが「フルームの総合優勝はない」とコメントするなど、多くの人々にとって勝利は不可能であるかのように思われた。しかし、モンテ・ゾンコランにゴールする第14ステージで区間優勝したほか、第19ステージではチマ・コッピとなるフィネストレ峠で総合首位だったサイモン・イェーツが遅れ出すと、スカイのアシスト勢は総攻撃を開始し、最終的に抜け出したフルームは80kmの驚異的な独走で圧勝。総合首位を奪うとそのまま総合優勝し、エディ・メルクスベルナール・イノー以来3人目となる年を跨いでの全グランツール連続制覇を達成した。ただし、サルブタモール基準値越え問題はジロ終了後時点でも決着がつかず、成績剥奪の可能性はいまだ消えていなかった。

サルブタモール基準値越え問題のその後

7月に入り、ASOはサルブタモール問題が曖昧なままのフルームを開幕迫るツール・ド・フランスから排除する模様と報じられたが[10]、7月2日、UCIは6月28日に出ていたWADAの分析結果を受け、ドーピング違反ではないとの結論を下した[11]

上記発表により、2017ブエルタ・ア・エスパーニャ、2018ジロ・デ・イタリアの総合優勝が確定した。

ツール・ド・フランス2018

4連覇・史上最多タイ5回目の総合優勝を懸けたツール・ド・フランスでは、第1ステージの終盤に落車し沿道に押し出され1分を失うが、アルプス山脈3連戦の2日目となる第11ステージではチームメートの総合首位ゲラント・トーマスから1分25秒遅れの総合2位に立つ。しかしピレネー2戦目となる第17ステージでライバル達から40秒ほど遅れて総合3位に転落すると、総合首位を維持していたトーマスへのエース交代を認めた。その後の第19ステージではトーマスのアシストに徹したため、ステージ優勝したプリモシュ・ログリッチに総合タイムで逆転され総合表彰台圏内からも脱落したが、第20ステージの個人タイムトライアルで区間2位となる走りを見せ表彰台圏内に復帰。総合3位で完走した。

2019年

ツール・ド・フランスの前哨戦となるクリテリウム・デュ・ドフィネの第4ステージ・個人タイムトライアルの試走中に落車。大腿骨、肘、肋骨を骨折し、治療に専念することになった[12]

7月18日、UCIはフアン・ホセ・コーボのドーピング違反が確定したとして、2011年のブエルタ・ア・エスパーニャ総合優勝を失格処分とし、総合2位であったフルームが繰り上げで総合優勝者となった[13]

2020年

レースに復帰したものの、前年の負傷の影響もあってか成績は低迷した。

7月9日、来期からイスラエル・スタートアップネイションへ移籍することが発表された[14]

ブエルタ・ア・エスパーニャは総合98位で終えた。

主な成績

2005年

  • ツアー・オブ・モーリシャス 区間優勝(第2)

2006年

  • ツアー・オブ・モーリシャス
    • 総合優勝
    • 区間優勝(第2,3)

2007年

2008年

2009年

2010年

2011年

2012年

2013年

2014年

2015年

2016年

2017年

2018年

2019年

2020年

2021年

グランツールの総合成績

グランツール 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 2019 2020 2021
ジロ・デ・イタリア 36 失格 1
ツール・ド・フランス 83 2 1 棄権 1 1 1 3 133
ブエルタ・ア・エスパーニャ 1 4 2 棄権 2 1 98

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “THE BIG INTERVIEW: CHRIS FROOME”. cyclingweekly. (2008年6月3日). http://www.cyclingweekly.co.uk/news/latest/346898/the-big-interview-chris-froome.html  (英語)
  2. ^ “チームスカイの手厚いサポートに驚くフルーム ジロの難関峠を見据える”. cyclo wired. (2010年3月3日). http://www.cyclowired.jp/?q=node/27293 
  3. ^ “スカイが山岳初戦を席巻 激坂で栄光を手にしたフルームとウィギンズ”. cyclo wired. (2012年7月8日). http://www.cyclowired.jp/?q=node/87514 
  4. ^ “2013年大会はドーピング違反なし、ツール・ド・フランス”. AFPBB News. (2013年8月21日). https://www.afpbb.com/articles/-/2963145?pid=11226527 2013年9月1日閲覧。 
  5. ^ hris Froome, Team Sky and Jaguar: 'Cycling Under The Sea' 2018年7月3日閲覧
  6. ^ “Fantastic Four Tour de France”. RoadCyclingUK. 2015年7月27日閲覧。
  7. ^ フルームが2012年に制したラ・プランシュ・デ・ベル・フィーユへの頂上ゴール
  8. ^ 山岳アシストのダリオ・カタルドヤコブ・フルサングがすでにリタイアしていた
  9. ^ a b ブエルタで採取されたフルームの尿検体から基準値超のサルブタモール検出 - cyclowired.jp 2017/12/13 - 17:29
  10. ^ Organisers want Chris Froome out of the Tour de France, Team Sky appeals - ル・モンド
  11. ^ UCI statement on anti-doping proceedings involving Mr Christopher Froome - UCI
  12. ^ フルームの怪我は大腿骨、肘、肋骨の骨折 ツールを欠場し治療に専念 - cyclowired.jp
  13. ^ コボのアンチ・ドーピング違反処分が確定し、ブエルタ・ア・エスパーニャ2011はフルームが繰り上げ総合優勝 - cyclesports.jp
  14. ^ イスラエル・スタートアップネイションがフルーム獲得を発表 - cyclowired.jp
  15. ^ “コニカミノルタのクリス・フルームが優勝、愛三の西谷が3位”. CYCLINGTIME.com. (2007年5月27日). http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=5206 
  16. ^ “ケニア出身のフルーム、ブエルタで夢を叶える”. CYCLINGTIME.com. (2011年8月30日). http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=18725 
  17. ^ “フルーム、山頂首位決戦を制しグランツール初勝利!”. CYCLINGTIME.com. (2011年9月8日). http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=18798 
  18. ^ “ガリムジャノフがスプリントが勝利 総合はマルティン”. CYCLINGTIME.com. (2011年10月10日). http://www.cyclingtime.com/modules/ctnews/view.php?p=18950 
  19. ^ a b 仏チャンピオンのブアニが最終スプリント制覇 フルームが総合優勝 - cyclowired.jp 2013年2月17日付
  20. ^ コンタドールの攻撃を封じたフルーム スプリント勝利で大会制覇に王手 - cyclowired.jp 2013年2月16日付

外部リンク

  • 公式サイト(英語)
  • クリス・フルーム - サイクリングアーカイヴス(英語)
  • クリス・フルーム - Olympedia(英語) ウィキデータを編集
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  • 編集
2019年 チーム・イネオス 陣容
   

イタリアの旗レオナルド・バッソ(英語版)
コロンビアの旗エガン・ベルナル
スペインの旗ホナタン・カストロビエホ
スペインの旗ダビド・デラクルス
イギリスの旗オウェイン・ドゥル(英語版)
アイルランドの旗エディ・ダンバー(英語版)

コロンビアの旗セバスティアン・エナオ・ゴメス(英語版)
ベラルーシの旗ヴァシル・キリエンカ
ドイツの旗クリスティアン・クネース
ポーランドの旗ミハウ・クフャトコフスキ
イギリスの旗クリストファー・ローレス(英語版)
イタリアの旗ジャンニ・モスコン

ゼネラルマネジャー : イギリスの旗  デヴィッド・ブレイルスフォード(英語版)                    チーム・ウェブサイト : teamineos.com/
   




1903  フランスの旗  モリス・ガラン
1904  フランスの旗  アンリ・コルネ
1905  フランスの旗  ルイ・トゥルスリエ
1906  フランスの旗  ルネ・ポティエ
1907  フランスの旗  ルシアン・プティブルトン
1908  フランスの旗  ルシアン・プティブルトン
1909  ルクセンブルクの旗  フランソワ・ファベール

1910  フランスの旗  オクタヴ・ラピーズ
1911  フランスの旗  ギュスタヴ・ガリグー
1912  ベルギーの旗  オディル・ドフレイエ
1913  ベルギーの旗  フィリップ・ティス
1914  ベルギーの旗  フィリップ・ティス
1915  ×   第一次世界大戦
1916  ×   第一次世界大戦
1917  ×   第一次世界大戦
1918  ×   第一次世界大戦
1919  ベルギーの旗  フィルマン・ランボー

1920  ベルギーの旗  フィリップ・ティス
1921  ベルギーの旗  レオン・シウール
1922  ベルギーの旗  フィルマン・ランボー
1923  フランスの旗  アンリ・ペリシエ
1924  イタリア王国の旗  オッタビオ・ボテッキア
1925  イタリア王国の旗  オッタビオ・ボテッキア
1926  ベルギーの旗  ルシアン・ビュイス
1927  ルクセンブルクの旗  ニコラ・フランツ
1928  ルクセンブルクの旗  ニコラ・フランツ
1929  ベルギーの旗  モリス・デワール

1930  フランスの旗  アンドレ・ルデュック
1931  フランスの旗  アントナン・マーニュ
1932  フランスの旗  アンドレ・ルデュック
1933  フランスの旗  ジョルジュ・スペシェ
1934  フランスの旗  アントナン・マーニュ
1935  ベルギーの旗  ロマン・マース
1936  ベルギーの旗  シルヴェール・マース
1937  フランスの旗  ロジェ・ラペビー
1938  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1939  ベルギーの旗  シルヴェール・マース

1940  ×   第二次世界大戦
1941  ×   第二次世界大戦
1942  ×   第二次世界大戦
1943  ×   第二次世界大戦
1944  ×   第二次世界大戦
1945  ×   第二次世界大戦
1946  ×   第二次世界大戦
1947  フランスの旗  ジャン・ロビック
1948  イタリアの旗  ジーノ・バルタリ
1949  イタリアの旗  ファウスト・コッピ

1950  スイスの旗  フェルディナント・キュプラー
1951  スイスの旗  ユーゴ・コブレ
1952  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1953  フランスの旗  ルイゾン・ボベ
1954  フランスの旗  ルイゾン・ボベ
1955  フランスの旗  ルイゾン・ボベ
1956  フランスの旗  ロジェ・ワルコヴィアック
1957  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1958  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール
1959  スペインの旗  フェデリコ・バーモンテス

1960  イタリアの旗  ガストネ・ネンチーニ
1961  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1962  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1963  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1964  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1965  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1966  フランスの旗  ルシアン・エマール
1967  フランスの旗  ロジェ・パンジョン
1968  オランダの旗  ヤン・ヤンセン
1969  ベルギーの旗  エディ・メルクス

1970  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1971  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1972  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1973  スペインの旗  ルイス・オカーニャ
1974  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1975  フランスの旗  ベルナール・テブネ
1976  ベルギーの旗  ルシアン・バンインプ
1977  フランスの旗  ベルナール・テブネ
1978  フランスの旗  ベルナール・イノー
1979  フランスの旗  ベルナール・イノー

1980  オランダの旗  ヨープ・ズートメルク
1981  フランスの旗  ベルナール・イノー
1982  フランスの旗  ベルナール・イノー
1983  フランスの旗  ローラン・フィニョン
1984  フランスの旗  ローラン・フィニョン
1985  フランスの旗  ベルナール・イノー
1986  アメリカ合衆国の旗  グレッグ・レモン
1987  アイルランドの旗  ステファン・ロシュ
1988  スペインの旗  ペドロ・デルガド
1989  アメリカ合衆国の旗  グレッグ・レモン

1990  アメリカ合衆国の旗  グレッグ・レモン
1991  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1992  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1993  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1994  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1995  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1996  デンマークの旗  ビャルヌ・リース
1997  ドイツの旗  ヤン・ウルリッヒ
1998  イタリアの旗  マルコ・パンターニ
1999  ×   空位

2000  ×   空位
2001  ×   空位
2002  ×   空位
2003  ×   空位
2004  ×   空位
2005  ×   空位
2006  スペインの旗  オスカル・ペレイロ
2007  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2008  スペインの旗  カルロス・サストレ
2009  スペインの旗  アルベルト・コンタドール

2010  ルクセンブルクの旗  アンディ・シュレク
2011  オーストラリアの旗  カデル・エヴァンス
2012  イギリスの旗  ブラッドリー・ウィギンス
2013  イギリスの旗  クリス・フルーム
2014  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2015  イギリスの旗  クリス・フルーム
2016  イギリスの旗  クリス・フルーム
2017  イギリスの旗  クリス・フルーム
2018  イギリスの旗  ゲラント・トーマス
2019  コロンビアの旗  エガン・ベルナル

   

1990  イタリアの旗  マルコ・ジョヴァンネッティ
1991  スペインの旗  メルチョル・マウリ
1992  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1993  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1994  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1995  フランスの旗  ローラン・ジャラベール
1996  スイスの旗  アレックス・ツェーレ
1997  スイスの旗  アレックス・ツェーレ
1998  スペインの旗  アブラハム・オラーノ
1999  ドイツの旗  ヤン・ウルリッヒ

2000  スペインの旗  ロベルト・エラス
2001  スペインの旗  アンヘル・カセロ
2002  スペインの旗  アイトール・ゴンサレス
2003  スペインの旗  ロベルト・エラス
2004  スペインの旗  ロベルト・エラス
2005  スペインの旗  ロベルト・エラス
2006  カザフスタンの旗  アレクサンドル・ヴィノクロフ
2007  ロシアの旗  デニス・メンショフ
2008  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2009  スペインの旗  アレハンドロ・バルベルデ

   










1909  イタリア王国の旗  ルイジ・ガンナ

1910  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1911  イタリア王国の旗  カルロ・ガレッティ
1912  イタリア王国の旗  アタラチーム[注 1]
1913  イタリア王国の旗  カルロ・オリアーニ
1914  イタリア王国の旗  アルフォンソ・カルツォラーリ
1915  第一次世界大戦
1916  第一次世界大戦
1917  第一次世界大戦
1918  第一次世界大戦
1919  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ

1920  イタリア王国の旗  ガエターノ・ベローニ
1921  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1922  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1923  イタリア王国の旗  コスタンテ・ジラルデンゴ
1924  イタリア王国の旗  ジュゼッペ・エンリーチ
1925  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1926  イタリア王国の旗  ジョバンニ・ブルネーロ
1927  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1928  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1929  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ

1930  イタリア王国の旗  ルイジ・マルキジオ
1931  イタリア王国の旗  フランチェスコ・カムッソ
1932  イタリア王国の旗  アントニオ・ペゼンティ
1933  イタリア王国の旗  アルフレッド・ビンダ
1934  イタリア王国の旗  レアルコ・グエッラ
1935  イタリア王国の旗  ヴァスコ・ベルガマスキ
1936  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1937  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1938  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ
1939  イタリア王国の旗  ジョヴァンニ・ヴァレッティ

1940  イタリア王国の旗  ファウスト・コッピ
1941  第二次世界大戦
1942  第二次世界大戦
1943  第二次世界大戦
1944  第二次世界大戦
1945  第二次世界大戦
1946  イタリア王国の旗  ジーノ・バルタリ
1947  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1948  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1949  イタリアの旗  ファウスト・コッピ

1950  スイスの旗  ユーゴ・コブレ
1951  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1952  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1953  イタリアの旗  ファウスト・コッピ
1954  スイスの旗  カルロ・クレリーチ
1955  イタリアの旗  フィオレンツォ・マーニ
1956  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール
1957  イタリアの旗  ガストネ・ネンチーニ
1958  イタリアの旗  エルコーレ・バルディーニ
1959  ルクセンブルクの旗  シャルリー・ゴール

1960  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1961  イタリアの旗  アルナルド・パンビアンコ
1962  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1963  イタリアの旗  フランコ・バルマミオン
1964  フランスの旗  ジャック・アンクティル
1965  イタリアの旗  ヴィットリオ・アドルニ
1966  イタリアの旗  ジャンニ・モッタ
1967  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1968  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1969  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ

1970  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1971  スウェーデンの旗  イェスタ・ペーテルソン
1972  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1973  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1974  ベルギーの旗  エディ・メルクス
1975  イタリアの旗  ファウスト・ベルトリオ
1976  イタリアの旗  フェリーチェ・ジモンディ
1977  ベルギーの旗  ミシェル・ポランティエール
1978  ベルギーの旗  ヨハン・デミュインク
1979  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ

1980  フランスの旗  ベルナール・イノー
1981  イタリアの旗  ジョヴァンニ・バッタリン
1982  フランスの旗  ベルナール・イノー
1983  イタリアの旗  ジュゼッペ・サローニ
1984  イタリアの旗  フランチェスコ・モゼール
1985  フランスの旗  ベルナール・イノー
1986  イタリアの旗  ロベルト・ヴィセンティーニ
1987  アイルランドの旗  ステファン・ロシュ
1988  アメリカ合衆国の旗  アンドリュー・ハンプステン
1989  フランスの旗  ローラン・フィニョン

1990  イタリアの旗  ジャンニ・ブーニョ
1991  イタリアの旗  フランコ・キオッチョーリ
1992  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1993  スペインの旗  ミゲル・インドゥライン
1994  ロシアの旗  エフゲニー・ベルズィン
1995  スイスの旗  トニー・ロミンゲル
1996  ロシアの旗  パヴェル・トンコフ
1997  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ
1998  イタリアの旗  マルコ・パンターニ
1999  イタリアの旗  イヴァン・ゴッティ

2000  イタリアの旗  ステファノ・ガルゼッリ
2001  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2002  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2003  イタリアの旗  ジルベルト・シモーニ
2004  イタリアの旗  ダミアーノ・クネゴ
2005  イタリアの旗  パオロ・サヴォルデッリ
2006  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2007  イタリアの旗  ダニーロ・ディルーカ
2008  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2009  ロシアの旗  デニス・メンショフ

2010  イタリアの旗  イヴァン・バッソ
2011  イタリアの旗  ミケーレ・スカルポーニ
2012  カナダの旗  ライダー・ヘシェダル
2013  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2014  コロンビアの旗  ナイロ・キンタナ
2015  スペインの旗  アルベルト・コンタドール
2016  イタリアの旗  ヴィンチェンツォ・ニバリ
2017  オランダの旗  トム・デュムラン
2018  イギリスの旗  クリス・フルーム
2019  エクアドルの旗  リチャル・カラパス

  1. ^ 第4回大会のみ総合優勝はカルロ・ガレッティジョヴァンニ・ミケレットエベラルド・パヴェージからなるチームに与えられた。
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