2区 (パリ)

パリ・2区の位置
地図
パリ・2区の位置

パリ2区 (2く、: 2e arrondissement de Paris) は、フランス首都・パリ市を構成する20の行政区のひとつである [1]。第2区、パリ2区ともいう。市の中央部に位置しており、1区の北にある。

概要

Rue de la Paix et place Vendôme. リュ・ド・ラ・ペ(平和通り)とヴァンドーム広場
Rue Marsollier

パリの2区は、市の中央部にある行政区。「ブルス区 (Arrondissement de la Bourse)」と呼ばれることもある [2]。東西に細長い区域であり、20区の中では面積が最も小さい。1区の北に位置している。人口は19,585人 (1999年)で、20区の中では2番目に少ない(人口の推移等詳細については後述)。

区の名称は、市の中央部から時計回り螺旋を描くようにして各区に付けられた番号を基にしており、当区はその2番目にあたることから、「2区」と名づけられた。パリ証券取引所国立図書館旧館などがある。また、ギャルリ・ヴィヴィエンヌ、パサージュ・デュ・ケールなど多くのパサージュが現存している。

地理

パリ・2区の詳細地図
Rue Saint-Sauveur vue depuis la rue Montorgueil

2区は、パリ中央部のやや北寄り、1区 の北境に接している。セーヌ川の北の地域にある。面積は0.99平方キロメートルで、20区のうちでは最も小さい。

北は、同じパリの行政区である9区に接し、北東の一部は10区に接している。南は、エティエンヌ・マルセル通りやプティ=シャン通りなどを境界として、1区に接している。2区の北の境界線は、リシュリュー・ドルゥオー駅付近で南西方向に折れ、1区との区界である南の境界線と合流している。東は、セバストポル大通りを境界として、3区に接している。

隣接する自治体(行政区)

地区(カルチェ)

パリ・2区のカルチエ詳細図

パリの行政区は、それぞれ4つの地区(カルチェ)に区分されている。2区を構成する4地区のコードと名称は、次のとおりである。

  • 05 - ガイヨン地区 (Quartier Gaillon)
  • 06 - ヴィヴィエンヌ地区 (Quartier Vivienne)
  • 07 - デュ・マイユ地区 (Quartier du Mail)
  • 08 - ボンヌ=ヌーヴェル地区 (Quartier de Bonne-Nouvelle)

住民

人口

2区の人口は、パリが全20区になった直後の1861年には81,609人であったのが、約100年後の1962年には半分以下の40,864人となり、その後も減少を続けて1999年には19,585人となった。20区のうちで1区に次いで2番目に人口が少なく、1982年以降は、パリの人口のわずか1パーセント未満で推移している。2005年の推計では20,700人と見積もられており、人口の回復が見込まれている。

また、人口の減少とともに人口密度も減り続けており、1999年の人口密度は、1861年の4分の1以下の19,743人となっている。20区のうちでは5番目に人口密度が低く、パリの平均人口密度の0.8倍である。人口の推移の詳細は、次のとおりである。

区人口 市人口 区人口/市人口 区人口密度 市人口密度 備考
1861年 81,609 1,696,141 4.81% 82,267 19,512
1872年 73,578 1,851,792 3.97% 74,171 21,303
1936年 41,780 2,829,753 1.48% 42,117 32,553
1954年 43,857 2,850,189 1.54% 44,211 32,788
1962年 40,864 2,790,091 1.46% 41,194 32,097
1968年 35,357 2,590,771 1.36% 35,642 29,804
1975年 26,328 2,299,830 1.14% 26,540 26,457
1982年 21,203 2,176,243 0.97% 21,374 25,035
1990年 20,738 2,152,423 0.96% 20,905 24,761
1999年 19,585 2,125,246 0.92% 19,743 24,449
2005年 20,700 2,166,200 0.96% 20,867 24,920 人口は推計。


歴史

政治・行政・司法

主な官公庁・公共機関

経済

  • 国立図書館 (リシュリュー館に統合された1635年建造のチュブフ館) 東側を南北に通るヴィヴィエンヌ通りを挟んでパサージュが2つある。ギャルリー・コルベール (Galerie Colbert) と, 画像のギャルリー・ヴィヴィエンヌ (Galerie Vivienne) である。
    国立図書館 (リシュリュー館に統合された1635年建造のチュブフ館) 東側を南北に通るヴィヴィエンヌ通りを挟んでパサージュが2つある。ギャルリー・コルベール (Galerie Colbert) と, 画像のギャルリー・ヴィヴィエンヌ (Galerie Vivienne) である。
  • 国立図書館 (リシュリュー館) の一角にあるチュブフ館 (Hôtel Tubeuf, 1635年築造)。国立図書館敷地南側を東西に走るプティ=シャン通り沿い, パレ・ロワイヤルの北側向かいにある。
    国立図書館 (リシュリュー館) の一角にあるチュブフ館 (Hôtel Tubeuf, 1635年築造)。国立図書館敷地南側を東西に走るプティ=シャン通り沿い, パレ・ロワイヤルの北側向かいにある。
  • "チュブフ館 (Hôtel Tubeuf)"には2つあり, 上記国立図書館本館が入るリシュリュー館に統合された1635年建造の"チュブフ館"と, 向かいヴィヴィエンヌ通り16番地にある, 現在セリーヌ本社が入る画像1640年建造の"チュブフ館"ないしコルベール・ド・トルシー館 (Hôtel Colbert de Torcy) とがある。後者にはかつてパリ証券取引所が入居もしていた。
    "チュブフ館 (Hôtel Tubeuf)"には2つあり, 上記国立図書館本館が入るリシュリュー館に統合された1635年建造の"チュブフ館"と, 向かいヴィヴィエンヌ通り16番地にある, 現在セリーヌ本社が入る画像1640年建造の"チュブフ館"ないしコルベール・ド・トルシー館 (Hôtel Colbert de Torcy) とがある。後者にはかつてパリ証券取引所が入居もしていた。
  • パサージュ・デュ・グラン=セール (Passage du Grand-Cerf)
    パサージュ・デュ・グラン=セール (Passage du Grand-Cerf)
  • ナポレオンのエジプト遠征開始の翌1799年に設けられたパサージュ・デュ・ケール (Passage du Caire)。サン=ドニ通り (Rue Saint-Denis) 側出入り口
    ナポレオンエジプト遠征開始の翌1799年に設けられたパサージュ・デュ・ケール (Passage du Caire)。サン=ドニ通り (Rue Saint-Denis) 側出入り口
  • 聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の修道院の場所にフランス革命期1798年築、エジプシアン・リヴァイヴァル建築[3]の建物。場所は、2区北東10区近くにあるプラス・デュ・ケール (カイロ広場, Place du Caire) 2番地。
    聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会修道院の場所にフランス革命期1798年築、エジプシアン・リヴァイヴァル建築[3]の建物。場所は、2区北東10区近くにあるプラス・デュ・ケール (カイロ広場, Place du Caire) 2番地。
  • 1903年のプラス・デュ・ケール2番地。ウジェーヌ・アジェ撮影。上記パサージュ・デュ・ケールが建物内を通っている。「カイロ広場」の名はナポレオンによるエジプト遠征での勝利を記念して名付けられた。
    1903年のプラス・デュ・ケール2番地。ウジェーヌ・アジェ撮影。上記パサージュ・デュ・ケールが建物内を通っている。「カイロ広場」の名はナポレオンによるエジプト遠征での勝利を記念して名付けられた。

証券取引所

主な企業

  • フランス通信社本社(Agence France-Presse
    • 通称「AFP通信」。ヴィヴィエンヌ通り (Rue Vivienne) 沿い、ないし同通りを抜けた北側に位置するブルス広場 (Place de la Bourse) 沿いに所在する。
  • セリーヌ本社(Céline
    • ヴィヴィエンヌ通り (Rue Vivienne) 16番地に建つ1640年建造のチュブフ館ないしコルベール・ド・トルシー館 (Hôtel Colbert de Torcy) にある[4]
  • ケンゾー本社(Kenzo
    • ヴィヴィエンヌ通り18番地に建つ1660年建造のカステランないしデマレ館 (hotel-castelan-ou-hotel-desmarets) にある[5]

主な店舗・商業施設

  • カルティエ本店(Cartier) - ヴァンドーム広場北側、ラ・ペ通り (rue de la Paix) 13番地にある。
  • エス・テー・デュポン本店(S.T.Dupon) - 2018年、パリ8区モンテーニュ大通りからラ・ペ通り10番地に移転した[6]
  • パリ三越Paris Mitsukoshi) - 2010年閉店。オペラ広場西側至近、9区との境界線上を走るカピュシーヌ大通り沿い2区側にあった。

主な商店街

  • ギャルリ・コルベール (Galerie Colbert
  • ギャルリ・ヴィヴィエンヌGalerie Vivienne
  • パサージュ・ショワズール (Passage Choiseul
  • パサージュ・デ・パノラマPassage des Panoramas
  • パサージュ・デ・プランス (Passage des Princes
  • パサージュ・デュ・グラン・セール (Passage du Grand-Cerf
  • パサージュ・デュ・ケール (Passage du Caire
  • パサージュ・デュ・ポンソー (Passage du Ponceau
  • パサージュ・ブール=ラベ (Passage Bourg-l'Abbé

宿泊施設

主な宿泊施設

教育

大学等

文化施設

美術館・博物館

  • フラゴナール・カピュシーヌ香水博物館 (Théâtre-Musée des Capucines-Fragonard

映画館・劇場

  • オペラ=コミック座Théâtre national de l'Opéra-Comique
  • ヴァリエテ座 (Théâtre des Variétés
  • ブッフ=パリジャン座 (Théâtre des Bouffes-Parisiens
  • ミショディエール劇場 (Théâtre de la Michodière
  • ル・グラン・レックス (Le Grand Rex

その他

宗教施設

教会・寺院

  • ノートルダム=デ=ヴィクトワール・バジリカ聖堂 (Basilique Notre-Dame-des-Victoires
  • ノートルダム=ド=ボンヌ=ヌーヴェル教会 (Église Notre-Dame-de-Bonne-Nouvelle

観光・憩い

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  • オペラ広場西側至近カピュシーヌ大通り35番地。1860年, 写真家ナダールのアトリエ兼居住地の"アトリエ・ナダール"があった。1873年には, 同建物に印象派ら芸術家集団が協同会社組織を設けた。(Société anonyme coopérative des artistes peintres, sculpteurs et graveurs, Le 35 boulevard des Capucines (Paris) vers 1870, photo de Nadar.)
    オペラ広場西側至近カピュシーヌ大通り35番地。1860年, 写真家ナダールのアトリエ兼居住地の"アトリエ・ナダール"があった。1873年には, 同建物に印象派ら芸術家集団が協同会社組織を設けた。(Société anonyme coopérative des artistes peintres, sculpteurs et graveurs, Le 35 boulevard des Capucines (Paris) vers 1870, photo de Nadar.)
  • ファサードが保存された2009年の"アトリエ・ナダール"。(Atelier Nadar, le même lieu en 2009, la façade ayant été préservée.)
    ファサードが保存された2009年の"アトリエ・ナダール"。(Atelier Nadar, le même lieu en 2009, la façade ayant été préservée.)

建築

  • ジャン無畏公の塔(トゥール・ジャン・サン・プール, Tour Jean sans Peur
  • クレディ・リヨネ旧本館(Siège central du Crédit lyonnais
    • 1876-1883年の間に建造されたオスマニアン建築 (fr)。通称はイタリア館ないしオテル・デ・イタリアン (Hôtel Des Italiens)。オペラ広場の東側至近、イタリアン大通り、キャトル=セプタンブル通り、グラモン通り、ショワズール通りに囲まれた地点、9区との境界上を走るイタリアン大通り沿い2区側に所在する。

公園・緑地等

  • ルーヴォワ公園 (Square Louvois)

交通

鉄道

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  • ルイ14世建造、パリ最古の凱旋門サン=ドニ門とサン=ドニ通り (Rue Saint-Denis)
    ルイ14世建造、パリ最古の凱旋門サン=ドニ門とサン=ドニ通り (Rue Saint-Denis)
  • パリで一番短い通り(階段部分のみの5.75m), ドゥグレ通り (Rue des Degrés)。区内東側, 移民も多い下町, 繊維問屋街サンティエ地区 (Quartier Sentier) にある。
    パリで一番短い通り(階段部分のみの5.75m), ドゥグレ通り (Rue des Degrés)。区内東側, 移民も多い下町, 繊維問屋街サンティエ地区 (Quartier Sentier) にある。
  • ジャン無畏公の塔 (fr) から見るエティエンヌ=マルセル通り (Rue Étienne-Marcel) の建物群
    ジャン無畏公の塔 (fr) から見るエティエンヌ=マルセル通り (Rue Étienne-Marcel) の建物群
  • ジャン無畏公の塔
    ジャン無畏公の塔
  • モンマルトル通り (Rue Montmartre) 15番地にある(厳密には1区側になる), 1826年創業ビストロ ル・コション・ア・ロレイユ (Le Cochon à l’Oreille) の1880年作フレスコ画 (Décor en céramique de l'ancien restaurant le Cochon à l'oreille.)
    モンマルトル通り (Rue Montmartre) 15番地にある(厳密には1区側になる), 1826年創業ビストロ ル・コション・ア・ロレイユ (Le Cochon à l’Oreille) の1880年作フレスコ画 (Décor en céramique de l'ancien restaurant le Cochon à l'oreille.)
  • かつてオーロール新聞が入居していたモンマルトル通り144番地 (Numéro 144, rue Montmartre, anciens locaux des journaux La France, Le Radical et L'Aurore.)。ジョルジュ・クレマンソーが主幹を務めていた。
    かつてオーロール新聞が入居していたモンマルトル通り144番地 (Numéro 144, rue Montmartre, anciens locaux des journaux La France, Le Radical et L'Aurore.)。ジョルジュ・クレマンソーが主幹を務めていた。
  • 同オーロール紙上でのエミール・ゾラによる公開状『私は弾劾する』のプラーク (Numéro 144, plaque commémorant l'article « J'accuse… ! » d'Émile Zola.)
    同オーロール紙上でのエミール・ゾラによる公開状『私は弾劾する』のプラーク (Numéro 144, plaque commémorant l'article « J'accuse… ! » d'Émile Zola.)
  • 同モンマルトル通り167番地建物
    同モンマルトル通り167番地建物
  • バンク(銀行)通りと2区区役所, ブルス広場方向を見る (Rue de la Banque et la mairie du 2e en direction de la place de la Bourse.)
    バンク(銀行)通りと2区区役所, ブルス広場方向を見る (Rue de la Banque et la mairie du 2e en direction de la place de la Bourse.)
  • ブルス広場と旧パリ証券取引所があったパレ・ブロンニャール (Place de la Bourse avec le palais Brongniart, au carrefour des rues du 4 septembre et Notre-Dame-des-Victoires.)
    ブルス広場と旧パリ証券取引所があったパレ・ブロンニャール (Place de la Bourse avec le palais Brongniart, au carrefour des rues du 4 septembre et Notre-Dame-des-Victoires.)
  • サン=タンヌ通り (Rue Sainte-Anne vue de la rue des Petits-Champs.)
    サン=タンヌ通り (Rue Sainte-Anne vue de la rue des Petits-Champs.)
  • パレ・ロワイヤル西側サントノレ通りと交差するアンドレ=マルロー広場界隈からみるオペラ大通り (L'avenue de l'Opéra)
    パレ・ロワイヤル西側サントノレ通りと交差するアンドレ=マルロー広場界隈からみるオペラ大通り (L'avenue de l'Opéra)

道路

  • イタリアン大通りBoulevard des Italiens
  • エティエンヌ=マルセル通り(Rue Étienne-Marcel
    • 1区との境界線を東西に走る。ヴィクトワール広場を介して下記プティ=シャン通りに接続する。同通りを南北に交差し、1区2区東側を走るモントルグイユ通り (Rue Montorgueil) 界隈は、ブティックエスカルゴ料理店レスカルゴ・モントルグイユ (L'Escargot Montorgueil) からイタリア料理、レバノン料理までのブラッスリー、野菜果物から肉魚までの食材店・・などが集う"パリの胃袋"庶民的なレ・アール地区のマルシェ。同モントルグイユ沿いには、ルイ15世王妃マリー・レクザンスカのパティシエであったパティスリー ニコラ・ストレー (Nicolas Stohrer)、レストラン ル・ロシェ・ド・カンカール (Le Rocher de Cancale)、9区南東フォリー・ベルジェール周辺に本店がある1761年創業、老舗チョコ&菓子屋ア・ラ・メール・ド・ファミーユ (À la Mère de Famille)・・がある。両通り界隈モンマルトル通り沿いには、アール・デコ調店内1880年作フレスコ画装飾が歴史的記念物指定されている1826年創業ビストロ ル・コション・ア・ロレイユ (豚の耳, Le Cochon à l’Oreille)[11]がある。通り名称はエティエンヌ・マルセルから。
  • オペラ大通り(Avenue de l'Opéra
  • サン=タンヌ通り(Rue Sainte-Anne
    • オペラ大通りに繋がる通りで、同様に1区から続く。日本関係の店舗、ラーメン屋などが多い。近年は韓国系の店が増えている(コリア・タウン#フランスも参照)。34番地の「オテル・デュ・バリー」は、デュ・バリー夫人を囲っていたジャン=バティスト・デュ・バリー子爵(fr)の館。通り名はルイ13世王妃アンヌ・ドートリッシュが1666年に亡くなった年に名付けられた。
  • カトル=セプタンブル通り(キャトル=セプタンブル通り, Rue du Quatre-Septembre
    • 西側9区南西端にあるオペラ広場で下記ラ・ペ通りと接続し、オペラ広場から東側の2区内中央を東西に走り、区内中央パレ・ブロンニャールがあるラ・ブルス広場から下記レオミュール通りと名を変え2区東側の3区内へ伸びてゆく。
  • カピュシーヌ大通り(Boulevard des Capucines
    • マドレーヌ大通りと共に、マドレーヌ寺院があるマドレーヌ広場とガルニエ宮(オペラ座)があるオペラ広場との300mほども無い区間を結ぶ通り。シャネル本店があるカンボン通り (Rue Cambon) や下記カピュシーヌ"通り"との交差点から東側オペラ方向通り側がカピュシーヌ大通り、同交差点から西側マドレーヌ方向がマドレーヌ大通りと通り名が変わる。イタリアン大通りにかけた通り沿いには、ゴーモン・オペラ映画やエドゥアールⅦ劇場、オランピア劇場、シャンゼリゼ沿いフランクラン=ローズヴェルト大通りやローム通り、シャトレ駅界隈やモンパルナス駅前等パリ各所にあるステーキレストランないしブラッスリーのイポポタミュ (Hippopotamus)、コンビニ モノップ (monop')、カルティエラコステ、マージュ (Maje)、子供服のオカイディ(Okaïdi)・・のフランスブランドからトミーヒルフィガーやZaraまである。
  • カピュシーヌ通り(Rue des Capucines
    • 1区北西側と2区南西側との境界線を走り、カンボン通りも接続する通り。同接続する交差点辺りで、マドレーヌ寺院とオペラ広場との200〜300mほどを結ぶマドレーヌ大通りないしカピュシーヌ"大通り"と交差する。1854年ルイ・ヴィトンが4番地に、1932年ニナ・リッチが20番地にそれぞれ最初のブティックを構えた。
  • サンティエ通り(Rue du Sentier
    • メトロ グラン・ブールヴァール駅界隈ポワソニエール大通りからレオミュール通りまで区内東部を南北に伸びる通り。繊維街サンティエ地区 (fr) の名の由来となった通り。かつネガティブなコピーブランドの街というイメージもあったが、現在は起業家が集う"シリコン・サンティエ”とも称される[12]。安手なレストランないしブラッスリーもあるなか、同通り30-32番地の、かつてはテキスタイル工場の18世紀建物には英系ホテルチェーン ザ・オクストン (The Hoxton) 、ブラッスリー リヴィエ (Rivié) が2017年に開業した[12][13]。また、かつて1778年の半年ほど22歳のモーツァルトが同通り8番地に滞在し、同行していた母を亡くした地。建物は当時と変われどプラークが掲げられている。バルザック人間喜劇ソーの舞踏会 (fr)』の主人公マクシミリアンは5番地に居住していた設定。
  • サン=ドニ大通り(Boulevard Saint-Denis
    • レピュブリック広場から西側へ伸びる東西に走る通り。サン=マルタン凱旋門を過ぎた辺りでサン=マルタン大通りからサン=ドニ大通りと名を変え2区北側と10区との境界線を走る。さらにサン=ドニ凱旋門を過ぎると下記ボンヌ=ヌーヴェル、ポワソニエール、モンマルトル大通りと名を変えオスマン大通りとイタリアン大通りとに分岐し、それぞれ9区南西部にあるガルニエ宮(オペラ座)南北周辺界隈まで続いてゆく。
  • サン=ドニ通り(Rue Saint-Denis
    • 1区、2区各東側を南北に走り、サン=ドニ凱旋門を介して10区からフォーブール=サン=ドニ通りに接続。10区内で左斜め上を走るマジャンタ大通りと交差し、パリ北駅東側を抜け、諸通りを介して北部郊外サン=ドニ大聖堂方面まで続く、庶民的ないし猥雑な通り。
  • セバストポル大通り(Boulevard Sébastopol
    • 3区との境界線上を南北に伸びる。セーヌ川左岸(南岸)サン=ミッシェル大通りへは、シテ島のパレ大通りを経てセーヌ川を越えて接続する。1区・4区南側セーヌ川河岸シャトレ広場やサン=ジャック塔周辺のシャトレ駅があるリヴォリ通り界隈の繁華街から北側に伸び、西に上記サン=ドニ通り、東にサン=マルタン通りとに挟まれた形でそれぞれ南北に並走する。10区内からストラスブール大通りと名を変え、西にフォーブール=サン=ドニ通り、東にフォーブール=サン=マルタン通りと共に同区内を南北に並走し、パリ東駅南側正面界隈まで伸びてゆく。
  • ヴィヴィエンヌ通り(Rue Vivienne
    • パレ・ロワイヤル北側を東西に走る下記プティ=シャン通りから北側へ、フランス国立図書館東側沿いと、ギャルリー・コルベールやギャルリー・ヴィヴィエンヌが走る西側とに挟まれた南北に走り、旧パリ証券取引所のパレ・ブロンニャールがあるブルス広場まで続く通り。通り沿いには、ル・グラン・コルベール (fr) といったブラッスリーやレストラン、セリーヌ本社、ケンゾー本社、レゴフランス本社、AFP本社・・などがある。
  • プティ=シャン通り(Rue des Petits-Champs
    • 上記エティエンヌ=マルセル通りからヴィクトワール広場を介して西側へ、パレ・ロワイヤルとフランス国立図書館との間を走りオペラ大通りに差し掛かるまで続く、主に2区南側1区との境界線上を東西に走る通り。プティ=シャン沿いの国立図書館向かい、パレ・ロワイヤル北側の道 ボジョレー通り (Rue de Beaujolais) には1784年創業のレストラン・ガストロノミーク ル・グラン・ヴェフール (Le Grand Véfour) がある。
  • ポワソニエール大通り(Boulevard Poissonnière
    • 上記サン=ドニ大通り参照。
  • ボンヌ=ヌーヴェル大通り(Boulevard de Bonne-Nouvelle
    • 上記サン=ドニ大通り参照。時にオスマン大通りも含め、マドレーヌ、カピュシーヌ、イタリアン、モンマルトル、ポワソニエール、サン=ドニなどを介してレピュブリック広場に接続するサン=マルタン大通り、さらにレピュブリック広場から南へ走るタンプル、フィーユ=デュ=カルヴェール、ボーマルシェ大通りなどを加えた、主に2区北側と9区南側との境界線上を走る"グラン・ブールヴァール (Les Grands Boulevards)" の一つ。
  • モンマルトル大通り(Boulevard Montmartre
    • 上記、サン=ドニ大通り参照。ポワソニエール大通りから続き、イタリアン大通りとオスマン大通りとに分岐し、ガルニエ宮(オペラ座)南北周辺界隈までそれぞれ伸びる、2区・9区境界西側界隈を東西に走る通り。
  • モンマルトル通り(Rue Montmartre
    • 下記ルーヴル通り参照。同通り15番地には、上記ビストロ ル・コション・ア・ロレイユ (Le Cochon à l’Oreille) があり(厳密には1区になる)、同144番地建物には、1883-1914年の間、オーロール新聞 (ローロール, L'Aurore) が入居していた。1898年1月13日同紙上にエミール・ゾラが『私は弾劾する』を公開した。
  • ラ・ペ通り(平和通り, Rue de la Paix
    • 1区ヴァンドーム広場からガルニエ宮前オペラ広場までの南北に走る、高級ブランド店等が並ぶ200〜300mも無い通り。オペラ広場で上記キャトル=セプタンブル通りと接続する
  • ルーヴル通り(Rue du Louvre
    • ルーヴル東側、レ・アール西側を南北に伸びる。2区中央を東西に走る下記レオミュール通り辺りで上記モンマルトル通りと名を変える・・さらに2区9区境界を東西に走る"グラン・ブールヴァール"のモンマルトル大通り乃至ポワソニエール大通りを越えるとフォーブール=モンマルトル通りと名を変え、9区中心部ノートルダム=ド=ロレット教会広場(北側広場)に至り、マルティル(殉教者)通り・・等と接続する。
  • レオミュール通り(Rue Réaumur
    • 2区・3区内中央を東西に走る通り。2区内中央部にあるラ・ブルス広場から西側で上記キャトル=セプタンブル通りと名を変えてオペラ広場まで伸び、上記ラ・ペ通りと接続する。通り東側3区内でブルターニュ通りと名を変え、マレ地区の北端を走る。

広場・交差点

パリの「広場(プラス、Place)」は、しばしば2以上の道路が交差する場所に位置し、中心の「島」を道路が周回するロータリー状の交差点となっている場合が多い。中心の「島」部分は、オベリスク緑地等に利用されている場合もあり、エトワール凱旋門があるシャルル・ド・ゴール広場は世界的に有名である。2区の広場や交差点には、次のようなものがある。

  • オペラ広場(Place de l'Opéra
    • 2区北西側と9区南西側との境界に位置している。
  • ヴィクトワール広場Place des Victoires
    • 1区と2区の境界に位置している。2区中央部の下記ブルス広場から、2区内を南北に走るノートルダム=デ=ヴィクトワール通り (fr)を、1区2区境界にあるヴィクトワール広場に至り、さらに同広場から1区内を南北に走るクロワ=デ=プティ=シャン通り (fr) を、同区内を東西に走るサントノレ通りまで至る・・これら2区から1区内の1キロ程度の範囲にかけて、ブルス広場のエクレア等のパティスリー レクレール・ド・ジェニ (L’Eclair de Génie la Fabrique)、パリ・クチュール組合学校、4区バスティーユ通り (fr) にあるボファンジェ[14]に次ぎパリで2番目に古い1876年創業ブラッスリー・ギャロパン (Brasserie Gallopin)、日本茶葉も扱うダマン・フレール (Dammann Frères)、ヴィクトワール広場のインテリア メゾン・サラ・ラヴォワンヌ (Maison Sarah Lavoine)、壁紙やファブリックなどインテリアの老舗ピエール・フレイ (Pierre Frey)、ディーゼル、カルバン・クラインジーンズ、ケンゾー、日本人シェフ小林圭ミシュラン仏料理店ケイ (Restaurant Kei)、フランス銀行本店・・などが所在している。
  • ブルス広場(Place de la Bourse
    • 2区の中央部に位置している。旧パリ証券取引所 (La Bourse) の建物だったパレ・ブロンニャールが建っている。

著名な出身者

貴族・富豪

学者

文化

著名な居住者

貴族・政治家・軍人

財界

文化

その他

ゆかりの人物

文化

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ フランス語の "2e" は "deuxième"、すなわち、英語の "second" にあたる序数であり、序数標識 "e" (上付き) は、英語の "-nd"、"-rd"、"-th" にあたる。"2e" は「第2の」、「2番目の」の意味であり、原語 "2e arrondissement" の直訳は「第2区」である。
  2. ^ レジフランスLégifrance). “地方自治一般法典 (Code Général des Collectivités Territoriales (CGCT))” R2512-1条. 2008年6月26日閲覧.
  3. ^ 英:Egyptian Revival architecture。歴史主義建築古代エジプト建築も参照。
  4. ^ 「CÉLINE」 LVMH
  5. ^ 「L’hôtel Castelan ou hôtel Desmarets Le siège de Kenzo」 PARIS PROMUNEURS 2014-2018
  6. ^ “ST Dupont ouvre une boutique rue de la Paix”. MONTRES DE LUXE (2018年10月17日). 2019年3月7日閲覧。
  7. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.209.
  8. ^ a b 福井憲彦・稲葉宏爾 『世界歴史の旅 パリ 建築と都市』、山川出版社、2003年、p.128.
  9. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、p.344.
  10. ^ トゥール・ジャン・サン・プール公式サイト (仏語) 2008年7月12日閲覧.
  11. ^ 「19世紀創業! いまも昔もパリっ子が愛するビストロ。Le Cochon à l’Oreille ル・コション・ア・ロレイユ<1区>」 マダム・フィガロ, 2018年
  12. ^ a b パリに行くの ? 新しいホテルThe Hoxtonがおすすめです。 大村真理子 マダムフィガロ, 2017年9月11日
  13. ^ 普通のパリ パリのクールなホテル コントワール・デ・コトニエ, 2017年10月19日
  14. ^ ブラッスリー・ボファンジェ (Brasserie Bofinger) JTB海外ガイド
  15. ^ 地球の歩き方編集室編 『地球の歩き方A07・パリ&近郊の町 2007〜2008年版』、ダイヤモンド社、2007年、pp.216-217.
  16. ^ 「150e anniversaire de la mort d'Eugène Delacroix (仏語)」 フランス下院国民議会 13 août 2013

参考文献

  • MICHELIN, ed (2007) (フランス語). Plan Atlas 56 – Paris du Nord au Sud –. MICHELIN. ISBN 978-2-06-710591-1 (パリ市内の詳細地図。)

関連項目

外部リンク

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