1951年の野球

1951年
こちらもご覧下さい
 
各年のスポーツ
1949 1950 1951 1952 1953
競輪
1949 1950 1951 1952 1953
サッカー
1949 1950 1951 1952 1953
自転車競技
1949 1950 1951 1952 1953
相撲
1949 1950 1951 1952 1953
日本競馬
1949 1950 1951 1952 1953
バスケットボール
1949 1950 1951 1952 1953
バレーボール
1949 1950 1951 1952 1953
野球
1949 1950 1951 1952 1953
■ヘルプ

< 1951年 | 1951年のスポーツ

1951年の野球(1951ねんのやきゅう)では、1951年野球界における動向をまとめる。

競技結果

日本プロ野球

ペナントレース

1951年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 79 29 6 .731 ---
2位 名古屋ドラゴンズ 62 48 3 .564 18.0
3位 大阪タイガース 61 52 3 .540 20.5
4位 松竹ロビンス 53 57 5 .482 27.0
5位 国鉄スワローズ 46 59 2 .438 31.5
6位 大洋ホエールズ 40 64 4 .385 37.0
7位 広島カープ 32 64 3 .333 41.0
1951年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 南海ホークス 72 24 8 .750 ---
2位 西鉄ライオンズ 53 42 10 .558 18.5
3位 毎日オリオンズ 54 51 5 .514 22.5
4位 大映スターズ 41 52 8 .441 29.5
5位 阪急ブレーブス 37 51 8 .420 31.0
6位 東急フライヤーズ 38 56 8 .404 33.0
7位 近鉄パールス 37 56 5 .398 33.5

日本シリーズ

1951年 日本ワールドシリーズ
日付 試合 ビジター球団(先攻) スコア ホーム球団(後攻) 開催球場
10月10日(水) 第1戦 読売ジャイアンツ 5 - 0 南海ホークス 大阪球場
10月11日(木) 第2戦 読売ジャイアンツ 7 - 0 南海ホークス
10月12日(金) 移動日
10月13日(土) 第3戦 南海ホークス 2 - 3 読売ジャイアンツ 後楽園球場
10月14日(日) 第4戦 雨天中止
10月15日(月)
10月16日(火) 南海ホークス 4 - 3 読売ジャイアンツ
10月17日(水) 第5戦 南海ホークス 2 - 8 読売ジャイアンツ
優勝:読売ジャイアンツ(初優勝)

個人タイトル

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
タイトル 選手 球団 成績 選手 球団 成績
最優秀選手 川上哲治 巨人 山本一人 南海
最優秀新人 松田清 巨人 蔭山和夫 南海
首位打者 川上哲治 巨人 .377 大下弘 東急 .383
本塁打王 青田昇 巨人 32本 大下弘 東急 26本
打点王 青田昇 巨人 105点 飯田徳治 南海 87点
最多安打 後藤次男 大阪 155本 木塚忠助 南海 130本
盗塁王 土屋五郎 国鉄 52個 木塚忠助 南海 55個
最優秀防御率 松田清 巨人 2.01 柚木進 南海 2.03
最多勝利 杉下茂 名古屋 28勝 江藤正 南海 24勝
最多奪三振 金田正一 国鉄 233個 阿部八郎 阪急 150個
最高勝率 松田清 巨人 .885 中谷信夫 南海 .875

ベストナイン

  セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
守備位置 選手 球団 選手 球団
投手 別所毅彦 巨人 江藤正 南海
捕手 野口明 名古屋 土井垣武 毎日
一塁手 川上哲治 巨人 飯田徳治 南海
二塁手 千葉茂 巨人 山本一人 南海
三塁手 藤村富美男 大阪 蔭山和夫 南海
遊撃手 平井三郎 巨人 木塚忠助 南海
外野手 金田正泰 大阪 大下弘 東急
青田昇 巨人 別当薫 毎日
岩本義行 松竹 飯島滋弥 大映

オールスターゲーム

詳細は「1951年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照

高校野球

大学野球

社会人野球

メジャーリーグ

できごと

1月

2月

  • 2月6日 - 中日ドラゴンズが名称を「名古屋ドラゴンズ」に改称。これは中部日本新聞社に加え、名古屋鉄道も資本参加することに伴うもので、西暦奇数年は名鉄、偶数年は中日新聞が主導して経営に当たるというものだった[1]
  • 2月19日 - セ、パ両リーグ間での選手引き抜きの泥仕合を理由にセ・リーグ理事長の中村三五郎がオープン戦を中止することを決定[3]
  • 2月24日 - GHQが日本プロ野球に対し、「プロ野球機構の確立」「コミッショナー制の樹立」を勧告[3]

3月

4月

5月

6月

7月

  • 7月4日 - セ・パ両リーグによる対戦としては初のオールスターゲームの第1戦が阪神甲子園球場において開催され、全セが2対1で勝利する。MVPは巨人の川上哲治
  • 7月12日 -【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのアリー・レイノルイズが対クリーブランド・インディアンス戦において3度目のノーヒットノーランを達成。スコアは1対0。
  • 7月18日 - 東京[12]以外では初のナイトゲームとなる大阪球場で南海対毎日戦が行われ、南海が1対0で勝利[13]
  • 7月26日 - 毎日の別当薫が対近鉄戦の1回に、二盗、三盗、本盗の1イニング3盗塁を記録。日本プロ野球史上8度目[14]
  • 7月28日 - 巨人の千葉茂が対大洋戦でNPB史上6人目の通算1000試合出場を達成[6]
  • 7月29日 - 広島後援会発足式が広島総合グラウンドにおいて行われる[7]

8月

  • 8月1日 - 松竹ロビンス大阪タイガース戦で、松竹の岩本義行が1試合4本塁打18塁打のプロ野球新記録、松竹は同新記録の1試合9本塁打。試合は松竹が17対12で勝利したが、先発の小林恒夫が完投で12失点ながら勝利投手となったが、12失点での勝利投手は2リーグ制以降の最多記録[15][16]
  • 8月2日 - 国鉄の金田正一が対阪神戦でセ・リーグ史上2人目の毎回奪三振13[11]
  • 8月5日 - 大洋の藤井勇が対広島戦(仙台)でNPB史上2人目、セ・リーグ史上初の1試合4二塁打[17]
  • 8月8日 - 巨人は対広島戦(小樽)の7回に球団タイ記録の1イニング10安打。両チーム合わせて1試合12二塁打(巨人8、広島4)はセ・リーグ新記録。試合は20対4で巨人が勝利[18]
  • 8月11日 - 甲子園の大銀傘が8年ぶりに復活[19]
  • 8月14日 - 西鉄対南海戦(平和台)でパ・リーグ新記録の両チーム合わせて1試合12二塁打(西鉄7、南海5)[20]
  • 8月18日 - 名古屋の野口明が対巨人戦(豊橋)で球団初の通算1000試合出場を達成[21]
  • 8月19日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が甲子園において行われ、京都府平安埼玉県熊谷に7対4で勝利して、12年ぶり2度目の優勝。
  • 8月19日 - 中日スタヂアムが全焼[1]

9月

  • 9月1日 - 阪急の野口二郎が対近鉄戦でNPB史上8人目の通算1000試合出場を達成[6]
  • 9月4日 - 巨人の藤本英雄が対大洋戦でNPB史上5人目の通算1000奪三振を達成[6]
  • 9月5日 - 国鉄の金田正一が対大阪戦(大阪球場)でノーヒットノーランを達成、日本プロ野球史上23人目、球団史上初[22]
  • 9月7日 - 阪急の野口二郎が対東急戦でNPB史上2人目の通算500試合登板を達成[6]
  • 9月23日 - この年シーズン後に行われる日米野球のため、ペナントレースはセ・パ共にこの日、セ・リーグは10月9日、パ・リーグは10月7日に開催される試合をもってシーズン打ち切りを発表し、この段階で首位に立っていたセ・リーグは読売ジャイアンツが18試合を残し、パ・リーグは南海ホークスが21試合を残してそれぞれリーグ優勝を達成[23]
  • 9月27日 - 巨人の青田昇が対松竹戦でNPB史上8人目の通算1000安打を達成[6]
  • 9月28日 - 南海の蔭山和夫が対近鉄戦(大阪)で5打数で5安打2本塁打3三塁打で、パ・リーグ新記録の1試合17塁打[24]
  • 9月28日 - 【MLB】ニューヨーク・ヤンキースのアリー・レイノルイズが対ボストン・レッドソックス戦において7月に続く、シーズン2度目のノーヒットノーランを達成。スコアは8対0。
  • 9月30日 - 阪神の藤村富美男が対国鉄戦でNPB史上9人目の通算1000試合出場を達成[6]

10月

  • 10月5日 - 大映の飯島滋弥が対阪急戦(西宮)で1回に満塁本塁打、7回無死一・二塁の場面で3ラン本塁打、二死満塁で満塁本塁打を放ち、日本プロ野球史上初の1試合2満塁本塁打、および史上3人目でパ・リーグでは史上初の1イニング2本塁打を達成。更に日本プロ野球最多となる1イニング7打点と1試合11打点をそれぞれ記録[25]
  • 10月10日 - 【MLB】ワールドシリーズ第6戦がヤンキー・スタジアムにおいて行われ、アメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースがナショナルリーグニューヨーク・ジャイアンツに4対3で勝利し、4勝2敗で3年連続14度目の優勝達成。
  • 10月17日 - 日本シリーズ第5戦が後楽園で行われ、巨人が南海に8対2で勝利し、4勝1敗で初の日本シリーズ優勝達成[26]
  • 10月17日 - メジャーリーグ選抜チームが日米野球で来日。

11月

  • 11月13日 - 全パ・リーグ対メジャーリーグ選抜戦(岡山球場)で全パが日本のプロ野球チームとしては初めてアメリカのプロ野球チームから勝利する[4]

12月

  • 12月1日 - 野球選手統一契約書が発効[4]
  • 12月25日 - 広島の長谷川良平が同月15日までに契約手続きを行わなかったとして、自由選手として移籍を表明。翌年3月にコミッショナー裁定で広島残留が決まる[7]

誕生

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

死去

脚注

  1. ^ a b c セリーグHistory Archived 2013年11月19日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  2. ^ 中日ドラゴンズ 編『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年、50頁。ISBN 4806205141。 
  3. ^ a b c d ドラゴンズ70年史 2006, p. 50.
  4. ^ a b c d e “パシフィック・リーグ略史(1949年〜2000年)”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  5. ^ 『広島東洋カープ60年史 HISTORY 1950-2009』ベースボール・マガジン社〈B.B.MOOK スポーツシリーズ〉、2009年、35頁。ISBN 9784583616001。 
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 18 達成記録一覧 Archived 2013年12月26日, at the Wayback Machine. セ・リーグ公式サイト
  7. ^ a b c カープ60年史 2009, p. 35.
  8. ^ 宇佐美徹也『日本プロ野球記録大鑑』講談社、1993年、692頁。ISBN 4062061082。 
  9. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 435.
  10. ^ “中断試合”. パシフィック野球連盟公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  11. ^ a b 宇佐美徹也 1993, p. 692.
  12. ^ これまでのナイター開催は神宮後楽園の2球場。
  13. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 190.
  14. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 711.
  15. ^ 1リーグ時代の1949年川崎徳次が13失点で勝利投手。
  16. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 407, 893.
  17. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 339.
  18. ^ 宇佐美徹也 1993, pp. 304, 340.
  19. ^ “阪神タイガースヒストリー1950-1954”. 阪神タイガース公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  20. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 340.
  21. ^ ドラゴンズ70年史 2006, p. 284.
  22. ^ “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
  23. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 135.
  24. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 514.
  25. ^ 宇佐美徹也 1993, p. 410.
  26. ^ “■ 1951年度日本シリーズ 試合結果(第5戦)”. 日本野球機構公式サイト. 2015年11月13日閲覧。
野球の歴史
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
スタブアイコン

この項目は、野球に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球/P野球)。

  • 表示
  • 編集