紀元前398年
世紀 | 前5世紀 - 前4世紀 - 前3世紀 |
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十年紀 | 前410年代 前400年代 前390年代 前380年代 前370年代 |
年 | 前401年 前400年 前399年 紀元前398年 前397年 前396年 前395年 |
紀元前398年(きげんぜん398ねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「ポティトゥス、メドゥリヌス、ラクトゥキヌス、フィデナス、カミルスとコルヌトゥスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元356年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前398年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
できごと
シチリア
- シュラクサイの僭主ディオニュシオス1世 がカルタゴとの和平協定を破り、疫病によって疲弊していたカルタゴの隙をついて、シチリア島西部のカルタゴ領諸都市を攻撃した。これら諸都市の多くでは、カルタゴ人の大量殺戮が行なわれた。良港をもつモティア も攻撃され、陥落した(モティア包囲戦)。
中国
- 楚が鄭軍を破り、鄭を包囲した。鄭人は宰相の駟子陽を殺した。
誕生
「Category:紀元前398年生」も参照
死去
「Category:紀元前398年没」も参照
- 駟子陽-鄭の宰相
脚注
注釈
出典
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関連項目
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