神田純一
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1e/Kanda_Junichi.jpg/220px-Kanda_Junichi.jpg)
神田 純一(かんだ じゅんいち、1885年〈明治18年〉5月[1] - 1969年〈昭和44年〉2月27日[2])は、日本の朝鮮総督府・内務官僚、実業家。官選鳥取県知事。
経歴
山口県出身。神田柳助の長男として生まれる[1]。第六高等学校を卒業[3]。1911年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1912年11月、文官高等試験行政科試験に合格。朝鮮総督府に入府し内務部試補となる[3]。
以後、朝鮮総督府事務官、同書記官、長崎県理事官、陸軍省航空局書記官、関東庁内務局長、大連民政署長などを歴任[1][4]。
1930年8月26日、鳥取県知事に就任。県財政の健全化のため緊縮政策を推進した[4]。1931年12月18日、知事を休職[5]。1932年1月29日、依願免本官となり退官した[6]。
その後、名古屋市助役、東邦化学工業 (株) 取締役を務めた[1][4]。戦後に公職追放となる[3]。その他、愛知時計電機常務、愛知機械工業会長などを歴任[4]。
脚注
参考文献
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 上、1943年。
- 『調停時報 第55号』日本調停協会連合会、1969年。
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