日本の航空事故

日本の航空事故(にほんのこうくうじこ)は、日本国内で発生した民間航空機ゼネラル・アビエーション航空事故およびインシデントについての一覧である。以下ではそれぞれの事故を事故発生日順に並べ、凡例で挙げた項目について記載している。

日本国外で発生した航空事故については以下を参照。

  • 航空事故の一覧 (1959年以前) - 1959年以前に発生した航空事故
  • 航空事故の一覧 (1960年から1979年) - 1960年から1979年までに発生した航空事故
  • 航空事故の一覧 (1980年から1999年) - 1980年から1999年までに発生した航空事故
  • 航空事故の一覧 (2000年から2019年) - 2000年から2019年までに発生した航空事故
  • 航空事故の一覧 (2020年以降) - 2020年以降に発生した航空事故

なお、日本国内の各航空会社の事故については、以下の一覧記事も参照のこと

凡例

  • 事故発生日
    • 便名: 航空会社と便名もしくは機体記号または機体名
    • 機種: 製造元と機種
    • 死者: 犠牲者数
    • 状況: 事故の状況
    • 詳細: 個別の記事がある場合には詳細として内部リンク

1910年代

1913年

  • 1913年3月28日
    • 便名: 青山練兵場所沢陸軍飛行場行き
    • 機種: ルイ・ブレリオ ブレリオ式単葉飛行機
    • 死者: 2人が死亡(木村鈴四郎、徳田金一。ともに陸軍中尉で滋野清武の直弟子)。
    • 状況: 北白川宮、久邇宮、朝香宮家が見物に訪れた陸軍による「帝都訪問」の帰り、所沢飛行場から1キロメートル東の山林に墜落した。日本における航空機での最初の犠牲者となった[1][出典無効]
  • 1913年5月4日
    • 便名: 大阪発京都行き
    • 機種: グレン・カーチス カーチス複葉機
    • 死者: 1人が死亡。
    • 状況: 武石浩玻が大阪 - 京都間の都市間連絡飛行に挑んだ際、京都深草練兵場への着陸に失敗した。日本の民間飛行家として最初の航空事故による犠牲者となった。

1920年代

1923年

  • 1923年1月9日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 中島式5型
    • 死者: 1人
    • 状況: 東西定期航空会の機体が三島練兵場を離陸した直後に墜落。機長は同年8月24日に死亡し、民間航空輸送史上初の死者となった[2]
  • 1923年2月22日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 白戸式25型
    • 死者: 1人
    • 状況: 東西定期航空会の機体が箱根で山に激突[2]

1924年

  • 1924年3月19日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 飛行船
    • 死者: 5人
    • 状況: 横須賀市で係留訓練を終えた飛行船が霞ヶ浦に帰投する途上、茨城県相馬郡上空で爆発、墜落した[2]
  • 1924年7月5日
    • 便名: 不詳
    • 機種; サムルソン2A2型
    • 死者: 2人
    • 状況: 東西定期航空会の機体が立川で試験飛行中に墜落[2]

1926年

  • 1926年4月6日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 日本航空輸送研究所横廠式ロ号甲型
    • 死者: 2人(うち1人は旅客)
    • 状況: 飛行中に火災が発生し、兵庫県神戸市沖合に墜落。旅客の死者が発生した初めての事故[2]
  • 1926年4月18日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 不詳
    • 死者: 2人
    • 状況: 奈良県王寺町の町制発足祝賀会場に墜落[2]

1927年

  • 1927年4月1日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 不詳
    • 死者: 2人
    • 状況: 大阪府木津川飛行場の敷地内に墜落[2]
  • 1927年11月3日
    • 便名: 不詳
    • 機種: 不詳
    • 死者: 不詳(10数人死傷)
    • 状況: 京都府安井飛行場で開催された曲芸飛行大会にて、参加した機体が誤って観客席に墜落[2]

1928年

  • 1928年5月4日
    • 便名: 中島飛行機 試験飛行機(機体記号:J-BAKB)
    • 機種: 中島 N-36 試作1号機(中島 ブリストル ジュピター 6型 空冷星形9気筒 420馬力)
    • 死者: 乗員8人全員が死亡。
    • 状況: 1927年に逓信省航空局が依頼した日本初の準国産旅客機の試作に対して、中島飛行機、三菱航空機(初代)愛知時計電機の3社が翌年までにそれぞれ試作機を完成させた。中島飛行機の試作機は5月3日に初飛行を終えた後、満席状態での飛行試験を行うため、翌4日に8人が搭乗して離陸したところ、高度約100メートルで逆さまとなり、墜落して炎上した[3]

1930年代

1931年

  • 1931年6月22日
    • 便名: 日本航空輸送 福岡発大阪行き(機体記号:J-BCAO)
    • 機種: フォッカー スーパーユニバーサル
    • 死者: 乗員乗客3人全員が死亡。
    • 状況: 福岡県にあった太刀洗飛行場から大阪に向かって離陸したが、有視界飛行中に梅雨時の霧に突入したため高度を下げたところ、朝倉郡夜須村(現在の筑前町)の冷水峠付近の山腹に激突した。事故機に搭乗していた乗客1名は日本における商業定期便最初の犠牲者となった。この事故がきっかけとなり、翌1932年6月1日から朝倉郡秋月村(現在の朝倉市)の陣屋山(標高584m)山頂に航空灯台(八丁越灯台)が建設され、11月1日に試験点灯された[4]

1932年

  • 1932年2月27日
    • 便名: 日本航空輸送 白鳩号(機体記号:J-BCDO)
    • 機種: ドルニエ ワール
    • 死者: 乗員5人全員が死亡。
    • 状況: 大阪府木津川飛行場から福岡県名島水上飛行場に向かっていた旅客飛行艇が、吹雪による視界不良で迷い込んだ八幡市(現在の北九州市)郊外の河内貯水池に墜落。乗客はいなかったが乗員全員が殉職した。この事故の調査のために文部省航空評議会に事故調査委員会が設けられた。調査の結果、機体は吹雪に耐え切れなくなり空中分解したことが判明した。一連の経緯は事故調査に参加した寺田寅彦の随筆集に記述がある。[5]
  • 1932年9月15日
    • 便名: 朝日新聞社 取材機(機体記号:J-BBAA)
    • 機種: デ・ハビランド プス・モス
    • 死者: 乗員2人全員が死亡。
    • 状況: 日本と満洲国の間で締結された日満議定書の調印式の写真を日本本土に輸送していた新聞社機が、日本海を横断飛行中に行方不明になった[6]。広範囲を捜索したが、鳥取県東伯郡沖の海上に取材機の破片と思われる残骸が発見されたことから、乗員2人は殉職したと判断された[7]。事故原因は不明であるが、競争相手よりも先んじて式典の写真を輸送するため、悪天候のなかを輸送していた最中であった。

1935年

  • 1935年6月22日
    • 便名: 日本航空輸送 郵便機(機体記号:不詳)
    • 機種: 中島飛行機 P-1 (郵便機)
    • 死者: 乗員1人全員が死亡。
    • 状況: 大阪-名古屋を結ぶ郵便機が岐阜県竹ヶ鼻町内に墜落。操縦士は墜落した町の出身者で、郷里の上空を飛ぼうとした際にエンジントラブルに遭ったと見られている。墜落した周辺の民家5戸が全焼したが、死者は操縦士1人にとどまった[8]

1936年

1937年

  • 1937年5月26日
    • 便名: フランス航空省主催「パリ東京間100時間懸賞飛行レース」
    • 機種: コードロンC635シムーン
    • 死者: 乗員2名軽傷。
    • 状況: 悪天候により高知県の戸原海岸に不時着、転覆して大破。マルセル・ドレ(fr:Marcel Doret)と機関士が軽傷を負った。[9]

1938年

富士号遭難を報じる『台湾日日新報
  • 1938年12月8日
    • 便名: 大日本航空 富士号(機体記号:J-BBOH)[10]
    • 機種: 中島飛行機 DC-2[10]
    • 死者: 乗員乗客12人中10人が死亡。
    • 状況: 台北から那覇に向かっていた旅客機の右エンジンが魚釣島上空で故障。片方のエンジンのみで飛行を続けたものの慶良間諸島の久場島付近の海上にSOSを発信した上で不時着水した。直ちに船舶が救助に向かったが、乗客2人を救助できたものの他の10人は犠牲になった[11]

1939年

1940年代

1940年

1942年

  • 1942年3月24日
    • 便名: 中華航空
    • 機種: 大型双発軍用臨時機 九龍 MC5101(三菱航空機 MC-20 ?)
    • 死者: 乗員・乗客7人全員が死亡。
    • 状況: 3月24日、インド独立連盟のプリタム・シンら3人とインド工作に従事していた森本大佐などを乗せてバンコクから東京へ向かっていた中華航空機が消息を絶つ[15]。同年9月24日静岡県水窪町の樵夫が遠望する中で、同町の白倉山御料林内に墜落していることを確認した[16]

1950年代

1952年

1954年

1956年

1957年

1958年

1960年代

1960年


1962年

1963年

1964年

1965年

1966年

1967年

  • 1967年2月9日
    • 便名: 日本国内航空 851便
    • 機種: コンベア CV-240
    • 死者: なし(1人が負傷)。
    • 状況: 浜松市上空3000メートルを飛行中、風防が破損しその衝撃で機長が胸を強打し重傷を負った。機内の与圧されていた空気が機外に噴出したが、飛行に影響せず名古屋空港へ緊急着陸した。機長以外にはけがは無かった。
  • 1967年10月5日
    • 便名: 日本航空仙台乗務員訓練所所属機
    • 機種: ビーチクラフト双発機
    • 死者: 3人(重傷1人)
    • 状況: 飛行中に突然エンジンが不調となり山形県村山市郊外に墜落、炎上。機長は脱出に成功したものの、同乗していた訓練生3人が焼死した[32]

1969年

1970年代

1970年

1971年

1972年

  • 1972年5月15日
  • 1972年5月30日
  • 1972年9月23日
    • 便名: 東亜国内航空 583便
    • 機種: 日本航空機製造 YS-11
    • 死者: 死傷者無し
    • 状況: 奄美空港への胴体着陸。
    • 詳細: 着陸時に副機長が誤って車輪を引込むミスを犯して胴体着陸となった[42]
  • 1972年12月8日
    • 便名: 東亜国内航空 便名不明
    • 機種: ボーイング727-100
    • 死者: なし
    • 詳細: 東京発大分経由鹿児島行きの東亜国内航空機が大分空港に着陸後、エプロンに向かうためにUターンを行ったところ、操作を誤り滑走路外へ逸脱。草地へ突っ込み前脚を損傷した。東亜国内航空はジェット機を導入したばかりで、万全を期すために機長資格者2名同乗させるダブルパイロット制を採用。さらに当該機は東亜国内航空の運行責任者が直々に操縦していたが事故を避けられなかった[43]

1973年

  • 1973年2月11日
    • 機種: セスナ機(形式不詳)
    • 死者: 乗員3人が死亡。
    • 状況: 福岡空港から八尾空港に向けて飛び立った栄工業所有のセスナ機が行方不明となった。6年後の1979年10月5日愛媛県東三方ヶ森北方で林道の測量業者が、バラバラになった機体の部品と遺骨の一部を発見、墜落したものとして確認された。墜落原因等は不明ではあるが、乗員の腕時計は11日1時56分を指して止まっていた[44]

1976年

  • 1976年9月15日
    • 便名: 大洋航空(近代航空によるチャーター)
    • 機種: セスナ 172M(機体番号:JA3732)
    • 死者: 乗客2人が行方不明(死亡と推定)、乗員2名が負傷。
    • 状況: 元高崎経済大学学長で経済学者の田中精一夫妻が、近代航空に伊豆大島上空遊覧飛行の斡旋を依頼。同社社長が大洋航空を紹介したが、同社幹部は「この夫婦は搭乗したいと何度も来社したが、様子がおかしいので乗せられない」と断ったため、近代航空の社長が同乗することを条件に、調布飛行場を飛び立った。伊豆大島を周回後、相模湾上空の高度2,000m付近を飛行中に突然、田中が機長の肩や首をナイフで切りつけたため、副操縦席にいた社長が田中を殴ったところ、田中の妻が医療用メスで社長に斬りかかった。もみ合いになり、機が急降下したところで田中夫妻はそれぞれ両サイドのドアを開け、機外へ飛び降りた。機長が出血多量により意識朦朧となったため、代わりに社長が操縦桿を握り、約30分後に羽田空港に緊急着陸した。田中夫妻は捜索が行われたものの発見できず、機長は全治2か月の重傷、社長は全治2週間の怪我を負った[45][46][47][48][49][50][51]

1977年

1978年

1979年

1980年代

1982年

1983年

1984年

1985年

  • 1985年8月12日
    • 便名: 日本航空 123便
    • 機種: ボーイング 747SR-46(機体番号:JA8119)[61]
    • 死者: 乗員乗客524人中520人が死亡。
    • 状況: ボーイング社の修理ミスにより圧力隔壁が破損し、垂直尾翼が吹き飛び油圧を損失した。操縦不能に陥り迷走した後に群馬県の山中に墜落。単独機による事故では史上最悪の犠牲者数。
    • 詳細: 「日本航空123便墜落事故」を参照。

1987年

1988年

1990年代

1990年

  • 1990年9月27日
    • 便名: 阪急航空 204便
    • 機種: 川崎重工BK117-B1型
    • 死者: 乗員2名乗客8名全員が死亡。
    • 状況: 宮崎空港から延岡ヘリポートに向かっていたが台風20号の接近による視界不良により日向市細島港北側の牧島山山頂付近に墜落。延岡市に創業地工場群を持つ旭化成は、本社のある大阪市東京への社員の出張又そこからの出張の受け入れが多いが、宮崎 - 延岡間は当時、鉄道は空港とつながっておらず、高速道路もなかった[65]。そのため、旭化成は自社ヘリポートを用意し、延岡工場と宮崎空港間を25分で結ぶヘリコプター路線を1989年3月に開設し、年間1万5千人の社員と、6000人の訪問者を運ぶ予定であった。しかしながら、この事故によりヘリコプターの運航を断念、日豊本線の「高速化」や、日南線の空港アクセス活用の気運がにわかに高まり、宮崎空港線敷設の契機となった。
    • 詳細: 「阪急航空チャーター機墜落事故」を参照。

1993年

1994年

  • 1994年4月6日
    • 便名: 個人所有機 回送便(機体記号:JA8898)[66]
    • 機種: セスナ 208B
    • 死者: 乗員1人が死亡。
    • 状況: 岡南飛行場から広島西飛行場に回送していた小型機が、着陸進入のために必要以上に高度を下げたことから、滑走路はるか手前の広島県佐伯郡能美町(現在の江田島市)にある野登呂山山頂付近の斜面に激突大破した[66]。機長が夜間飛行に慣れていなかったこともあったが、飲酒操縦をしていたことも事故要因であったとされた[66]
  • 1994年4月26日
  • 1994年10月18日
    • 便名: 1) 朝日新聞社 取材機(機体記号:JA9621)、2) 毎日新聞社 取材機(機体記号:JA9250)
    • 機種: 1) アエロスパシアル AS355 F1、2) アエロスパシアル AS350B[68]
    • 死者: 朝日機の乗員3人全員が死亡。
    • 状況: 和歌山県から戻る途中の朝日新聞社の取材ヘリコプターが、大阪府泉佐野市にある上之郷インターチェンジ上空で毎日新聞社の取材ヘリコプターと空中衝突し墜落[68]。事故原因は双方の見張り不充分であったが、山脈または市街地を背景に接近したため、互いに視認しにくい状況でもあった[68]。なお、毎日機は損傷を受けたが無事に着陸でき、また皮肉にも事故後に当事者と認識しないまま朝日機の墜落現場を上空から撮影していた。

1996年

1997年

1998年

2000年代

2000年

2001年

2002年

2003年

2004年

2005年

2007年

2008年

2009年

2010年代

2010年

2011年

2012年

  • 2012年2月5日
    • 便名: 全日空 731便
    • 機種: エアバス A320-211
    • 死者: なし[92]
    • 状況: 仙台空港への着陸時に機長は着陸復航を行ったが、この時に機体の尾部を滑走路に接触させた。事故により機体の後部圧力隔壁なども損傷を受けた。
  • 2012年6月20日
    • 便名: 全日空 956便
    • 機種: ボーイング767-300ER
    • 死者: なし
    • 状況: 成田空港で北京首都国際空港発の全日空機(B767-300ER型機)が、着陸時に主脚と前脚が交互に接地してバウンドを繰り返しながら着陸した。乗員乗客全員にけが人は出なかったが、着陸時の衝撃で機体の一部が変形した。

2015年

2016年

2017年

  • 2017年3月5日
    • 便名: 長野県 消防防災ヘリコプター「アルプス」(機体記号:JA97NA)[99]
    • 機種: ベル 412EP
    • 死者: 乗員9人全員が死亡。
    • 状況: 山岳救助訓練のため、パイロット1人、整備士1人、および長野県内の消防隊員7人の計9人を乗せ、13時31分に長野県松本市松本空港を離陸した後、鉢伏山付近に墜落した。目的地である高ボッチ高原の臨時ヘリポートに到着時刻を30分過ぎてもヘリは到着せず、ヘリからの連絡も無かったため、長野県警察航空隊「やまびこ2号」が捜索したところ、墜落している機体を発見した。事故当日に3人、翌日に6人の死亡が確認され、長野県最悪の航空機事故となった[100]。長野県警は被疑者不詳で、業務上過失致死容疑で捜査中[101]
  • 2017年6月3日
  • 2017年8月14日
  • 2017年11月8日
    • 便名: 東邦航空回送便
    • 機種: エアバス・ヘリコプターズAS332L
    • 死者: 乗員4人全員が死亡。
    • 状況: 業務を終え、山梨県から栃木県のヘリポートに向かっていた回送便が長野・群馬県境を越えた後機体が制御不能に陥り、上野村の橋付近に墜落、炎上、大破した。機体とテールローターを繋ぐボルトに亀裂が入ったまま飛行を続けたためにボルトが破断しテールローターが外れたのが原因。しかも亀裂の事実が整備士(この事故で死亡)のみ知っていて共有されていなかった。

2018年

  • 2018年8月10日
    • 便名: 群馬県防災航空隊「はるな」(機体記号:JA200G)
    • 機種: ベル 412EP
    • 死者: 乗員9人全員が死亡。
    • 状況:8月11日に開通を予定している登山道「ぐんま県境稜線トレイル」の確認視察のため前橋市ヘリポートを離陸した群馬県防災ヘリコプター「はるな」が群馬県と長野県の県境付近を飛行中に消息を絶ち、直ちに航空自衛隊などが捜索を開始。群馬県吾妻郡中之条町横手山に「はるな」の機体と見られる物体を発見[105]。その後、航空自衛隊や群馬県警察本部などによる捜索隊により「はるな」が墜落していることを確認し、本機に搭乗していた群馬県防災航空隊員4名並びに吾妻広域消防本部職員5名の合計9名[105] を救出し収容したが、11日になって9名全員の死亡が確認された[106]。事故の原因は、天候悪化で雲の中を飛行して地形を確認できなくなり、機長が高度や姿勢を把握できなくなる「空間識失調」に陥り、正常に操縦できなくなったことが原因と結論づけた。[107]

2020年代

2020年

2022年

2023年

  • 2023年9月7日
    • 便名:航空大学校訓練機(機体番号:JA018C)
    • 機種:シーラス式SR22型
    • 死者:なし
    • 状況:14時38分頃、釧路空港において連続離着陸訓練を行っていた航空大学校帯広分校所属の訓練機が滑走路を逸脱し、誘導路に着陸した。その後当該機は空港敷地を囲むフェンスに激突し停止。40代の男性教官1名と20代の男子学生3名が搭乗していたがいずれも怪我はなかった。また当該機は3本のギア全てが損傷した。本事故は当初、重大インシデントとされたが、その後航空事故に認定された。原因は調査中。

2024年

  • 2024年1月2日
    • 便名: 1) 日本航空 516便、2) 海上保安庁 みずなぎ1号
    • 機種: 1) エアバス A350-941(機体記号:JA13XJ)、2) デ・ハビランド・カナダ DHC-8-Q300(機体記号:JA722A)
    • 死者: 5名(海保機乗員)
    • 状況: 17時47分頃、新千歳空港発の日航機が羽田空港C滑走路へ着陸した直後に海上保安庁機と衝突、両機ともに大破炎上した。日航機側に負傷者14名、海保側の機長が重傷、機長を除いた海保機の乗員5人が死亡[114]。海保機は、前日夕方に発生した令和6年能登半島地震対応で物資を運ぶ為、新潟航空基地(新潟空港)へ向けて離陸する予定だった。
    • 詳細:「羽田空港地上衝突事故」を参照。
    • 2024年4月24日(発表日)
    • 状況新千歳空港空港に着陸する全日空機から煙油圧系統トラブルで滑走路上で停止乗客乗員に怪我なし。

脚注

注釈

出典

  1. ^ 誰か昭和を思わざる 大正ラプソディー(大正2年1〜6月) Archived 2011年1月25日, at the Wayback Machine.[出典無効]
  2. ^ a b c d e f g h 日外アソシエーツ編集部 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年9月27日、25-29頁。ISBN 9784816922749。 
  3. ^ “昭和初期に国産旅客機の試作が行なわれた ( 愛知県 )”. 日本で複葉機を自作していたころの飛行機ファン (2005年4月13日). 2016年3月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月9日閲覧。
  4. ^ 桑原達三郎『太刀洗飛行場物語』 葦書房 1981年 P.286-287
  5. ^ 飛行艇の経済性が陸上機に劣ることを印象づけたドルニエ・ワール旅客飛行艇 | 旅客機の友2018年10月31日閲覧。
  6. ^ 東京朝日新聞1932年9月15日夕刊
  7. ^ 東京朝日新聞1932年10月16日朝刊
  8. ^ 郵便機が民家に墜落、五戸全焼『新愛知新聞』昭和10年6月23日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p144 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  9. ^ 『毎日年鑑』昭和13年別冊、p30
  10. ^ a b “ASN Aircraft accident Nakajima-Douglas DC-2 J-BBOH Kerama Islands” (英語). Aviation Safety Network. 2017年11月5日閲覧。
  11. ^ 東京朝日新聞1938年12月9日夕刊
  12. ^ a b “ASN Aircraft accident Lockheed 14-WG3B Super Electra J-BCOZ Fukuoka Airport (FUK)” (英語). Aviation Safety Network. 2017年11月5日閲覧。
  13. ^ 大日本航空の旅客機が墜落、六人が死傷『東京朝日新聞』昭和14年9月9日(『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p743 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  14. ^ 朝日新聞1940年2月6日朝刊
  15. ^ 佐藤宏『タイのインド人社会』p108
  16. ^ 断崖に激突した中華航空機、遺体を確認(昭和17年9月29日 朝日新聞(夕刊))『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p238
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関連項目

外部リンク

  • 運輸安全委員会 (JTSB)
  • 日本の航空事故総覧
  • Aviation Safety Network > Japan air safety profile(英語) - 日本国内で発生した民間航空機による事故の便覧
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