新田貞善

新田 貞善(にった さだよし、嘉永6年1月13日(1853年2月20日) - 明治10年(1877年3月9日)は、江戸時代の高家旗本新田貞時の嫡男。童名は由良小太郎、のち新田小太郎。またの通称を新田雅楽亮。明治維新以前の旧名は由良 貞善(ゆら さだよし)。

江戸の由良家邸において誕生した。実弟乙次郎貞觀とは双生児である。

慶応4年(1868年)春、養祖父貞靖、父貞時と共に新田姓に復す。新政府には病身の父の代理として、若年ながら参内。明治6年(1873年)に父の跡式を相続した貞善は、父同様に新政府に対して、自らが新田義貞の嫡流であることを重ねて主張する。支流・横瀬貞篤と共に新田氏の顕彰に努めるも、一女を残して(のち早世する)明治10年(1877年)7月18日に25歳で死去した。

葬儀は神葬祭で執り行われ、「源阿曾美新田貞善命」(阿曾美は朝臣の意)、また「新田氏源朝臣貞善大人命」と諡号された。

五三桐紋由良(新田)家13代当主(1873年 - 1877年)
宗家

貞氏 - 貞治 - 貞国 - 国繁 - 成繁 - 景繁 - 泰繁 - 成繁 - 国繁 - 貞繁 - 忠繁 - 貞房 - 頼繁 - 貞長 - 貞整 - 貞通 - 貞雄 - 貞陰 - 貞靖 - 貞時 - 貞善 - 貞觀 - 貞康 - 義基 -

分家・支流

高家横瀬家

貞顕 - 貞国 - 貞隆 - 貞臣 - 貞径 - 貞征 - 貞固 - 貞篤 - 安次郎 -