平埔族

台湾原住民 > 平埔族
平埔族の母親と子供。ちなみに西洋人によるデッサンのため、西洋人の顔立ちのように描かれ、実際の顔立ちと少し開きがある。

平埔族(へいほぞく)は、「平地に住む民族」のことで、清朝以前からもともと台湾にいた台湾原住民の民族を指す総称である[1]。清朝の統治下には「平埔蕃」、「熟蕃」などの蔑称が用いられていた。山地に住む原住民である高山族と区別されるが、これは居住地域から便宜的に用いられるものであり、正確な民族系統を反映したものとはいえない。

元々は、台湾の平野部全域に居住していた。しかし、代以降、特にオランダ漢人を労働力として移入させてから、漢人との通婚や漢化が進んだ。特に清朝は政策として漢化(漢文化化)を推し進めた。そのため、徐々に平埔族を名乗る者は減少していった。日本統治時代に平埔族についての研究が始められたが、既に大多数は漢人化していた。第二次世界大戦後、中国国民党が台湾を支配した後は、再び漢化政策が行われ、エスニックグループとしての意識が希薄化し、また政府も原住民として認定しなかった。

台湾の原住民研究は、国民党の時代は禁じられており、初めての台湾人総統李登輝の時代になってようやく解放された[2]民主化後、エスニックグループに関する研究が盛んになると、社会や学会などの注目を集めるようになった。現在、サオ族クバラン族のみが政府から原住民族としての認定を受けている。その他にもケタガラン族など、認定を受けていないグループが多い。

分類

1897年撮影の写真。台北方面の「かなつゐ(Kanatsui)社」という集落の平埔族。かやぶき屋根と日干し煉瓦を使った漢式住居に住んでいる。

出典

  1. ^ 藤井厳喜&林建良『台湾を知ると世界が見える』p.52 ダイレクト出版 2019 第1版第1刷
  2. ^ 藤井厳喜&林建良『台湾を知ると世界が見える』p.64 ダイレクト出版 2019 第1版第1刷

外部リンク

  • 中央研究院平埔文化資訊網
  • 17・18世紀の台湾東海岸における族群関係の歴史的展開――トルビアワン人を中心に清水純、日本大学研究紀要第84号(2017年)
伝統的な区分

高山族 - 平埔族

公認されている原住民族
タイヤル語群

タイヤル族(泰雅族) - タロコ族(太魯閣族) - セデック族(賽德克族)

パイワン語群

アミ族(阿美族) - パイワン族(排灣族) - ブヌン族(布農族) - プユマ族(卑南族) - サイシャット族(賽夏族) - サオ族(邵族) - クバラン族(噶瑪蘭族) - サキザヤ族(撒奇萊雅族)

ツォウ語群

ツォウ族(鄒族) - カナカナブ族(卡那卡那富族) - サアロア族(拉阿魯哇族)

ルカイ語群

ルカイ族(魯凱族)

バタニック語群

タオ族(達悟族)

公認されていない原住民族
パイワン語群

バブザ族(巴布薩族) - ホアンヤ族(和安雅族) - ケタガラン族(凱達格蘭族) - ルイラン族(雷朗族) - クーロン族(亀崙族) - バサイ族(巴賽族) - パポラ族(巴布拉族) - パゼッヘ族(巴宰族) - カハブ族(噶哈巫族) - カウカット族(猴猴族) - タオカス族(道卡斯族) - シラヤ族(西拉雅族) - タイボアン族(大満族) - マカット族(馬卡道族)