川内通康

川内 通康(かわうち みちやす、1935年(昭和10年)12月2日 - 2019年(平成31年)3月5日)は、日本の実業家ニッポン放送元社長。佐賀県佐賀市出身[1]

経歴・人物

佐賀市水ケ江にあるロングサン薬局の長男として産まれる。

佐賀大附属中佐賀高校を経て、1959年東京大学教育学部を卒業し、同年にニッポン放送に入社[1]

1979年に取締役に就任し、1983年に常務、1985年に専務、1989年6月に副社長を経て、1992年6月に社長に就任し、1999年6月会長に退いた[1][2]

1992年から1999年までに日本民間放送連盟の理事を務め、2001年2002年東京国際映画祭のゼネラルプロデューサーも務めた[2]1992年6月からフジテレビジョン取締役を務めた[1]1998年4月に藍綬褒章を受章し、2011年旭日中綬章を受章した[2][1]

2019年3月5日大動脈解離のために死去[3]。83歳没

脚注

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  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 2003, か187頁.
  2. ^ a b c ニッポン放送元社長、川内通康氏死去 - 産経ニュース産経新聞 2019年3月11日
  3. ^ 川内通康氏が死去 元ニッポン放送社長2019年 3月11日 日本経済新聞

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第42版 上』興信データ、2003年。 
便宜上、1954年4月13日設立の旧法人(現在はフジ・メディア・ホールディングスに吸収合併)時代から通しで記載。7代目の社長在任途中分より2006年4月1日設立の新法人分の歴代社長を記載。