小林一雅

小林 一雅(こばやし かずまさ、1939年(昭和14年)9月19日 - )は、日本実業家兵庫県出身[1]小林製薬の会長を務める。

略歴

小林製薬社長の小林三郎の長男として生まれ育った。大学在学中に父の三郎が死去[2]甲南大学経済学部卒業後、1962年3月に小林製薬に入社。1964年米国に視察旅行をきっかけに1965年にコロンビア大学に留学[3]。1966年11月に取締役、1970年11月に常務取締役を経て、1976年12月、4代社長に就任[1]。 医薬品の卸業であった小林製薬をメーカーへと転換を進めた[3]

その後、2004年6月に弟である豊が社長となり、一雅は会長となった。

一族

  • 一雅は、名古屋で店を創業した忠兵衛のひ孫にあたり、吉太郎は祖父、父親の三郎は吉太郎の娘婿だったという。現社長の章浩は長男にあたる[4][5]。尚、一雅は「わたしの足跡・関西経済人列伝」の中で、妻の道子は40代の若さで他界し、娘2人は会社とは全く関係のないところに嫁いでいると語っている。

馬主活動と所有馬

雅苑興業の勝負服を着用した鮫島克駿

日本中央競馬会(JRA)に登録している馬主でもある。当初は個人名義、現在は「合同会社雅苑興業」の法人名義で登録されている。勝負服の柄は白、緑十字襷、袖緑二本輪、冠名には「カズマ」を馬名の後方に用いる。

2024年4月上旬、同社が所有していたJRAの登録馬が吉田和美などに名義に変更された[6]

主な所有馬

脚注

  1. ^ a b “小林一雅 小林製薬代表取締役会長”. DIAMOND online. 2019年12月28日閲覧。
  2. ^ “小林製薬のユニークすぎる商品群は「米国のトイレ」に原点があった”. DIAMOND online. 2019年12月28日閲覧。
  3. ^ a b “小林製薬のユニークすぎる商品群は「米国のトイレ」に原点があった”. DIAMOND online. 2019年12月28日閲覧。
  4. ^ “人間発見 小林製薬会長 小林一雅さん”. 日本経済新聞 (2012年3月13日). 2019年12月28日閲覧。
  5. ^ “小林章浩専務の社長昇格を内定 小林製薬”. 薬事日報 (2013年3月11日). 2019年12月28日閲覧。
  6. ^ 競馬ファンから「これも“紅麹”問題の影響?」の声…「小林製薬会長」所有馬の名義が変わっていた裏事情(全文) - デイリー新潮 2024年4月10日

参考文献

  • 「わたしの足跡・関西経済人列伝」209ページ
小林製薬社長
小林盛大堂
小林大薬房
  • 小林吉太郎 1919-1948
  • 小林三郎 1948-1956
小林製薬
  • 小林三郎 1956-1958
  • 小林映子 1958-1976
  • 小林一雅 1976-2004
  • 小林豊 2004-2013
  • 小林章浩 2013-