小早川元治

小早川 元治(こばやかわ もとはる、明治40年(1907年6月27日[1] - 没年不詳)は、日本の自動車技術者男爵小早川家の当主。位階は正五位。旧姓名は毛利元治。

略歴

東京府出身。明治40年(1907年)、第29代毛利宗家当主の毛利元昭の次男として生まれる。その後、叔父にあたる男爵・小早川四郎の養子となる[2]広島の旧制崇徳中学校日本大学工学部を卒業。崇徳中学校時代には弁論部で活躍、大学時代にはディーゼル機関の研究を行っていた。卒業後は日産自動車の技術者となる。また、ジェントルマンドライバー (アマチュアドライバー) としても活動し、イギリスからMG・K3マグネットを入手して多摩川スピードウェイに参戦するなどしたという[3]

系譜

脚注

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  1. ^ 霞会館 1996, p. 608.
  2. ^ 断絶した小早川を毛利が再興、末裔はル・マンで優勝 週刊朝日 2014年10月31日号掲載
  3. ^ わたしの自動車史(前編) ― 小早川 隆治―[リンク切れ]

参考文献

左三つ巴紋小早川男爵家当主(第3代、1957年 - )
沼田小早川氏
小早川男爵家

分家・支流

竹原小早川氏
久留米小早川氏