小川かず子

小川 かず子
Kazuko Ogawa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1957-02-04) 1957年2月4日(67歳)
出身地 徳島県那賀郡
ラテン文字 Kazuko Ogawa
身長 162cm
体重 56kg
血液型 AB型
選手情報
愛称 ケロ
ポジション S
指高 205cm
利き手
スパイク 288cm
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小川 かず子(おがわ かずこ、1957年2月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。

来歴

徳島県那賀郡出身。富岡東高校を卒業するといったん就職するが、池坊短期大学へ進学しバレーボールを続けた。短期大学卒業後は実家に戻る予定だったが、1978年ユニチカに入部する。

入部直後の都市対抗バレー(現黒鷲旗大会)からチームのレギュラーセッターを務め、全日本に抜擢される。同年の世界選手権では銀メダルを獲得した。

1980年モスクワオリンピック日本代表に選出されたが、西側諸国が同大会をボイコットしたためにオリンピック出場はならなかった。

国内では日本リーグのベスト6を3年連続獲得、第13回-14回の日本リーグ2連覇、第15回のチーム準優勝に大きく貢献し、敢闘賞を獲得した。

人物・エピソード

高校時代についたニックネームは「ケロ」。顔がカエルに似ていることが由来[1]。後にユニチカ監督の小島孝治(当時)からはよく「トノサマ」とからかわれた。

日本電気所属であった森下由紀子は短大のチームメイトである。森下曰く、小川の性格は意地っ張りだが、思いやりがあるやさしい性格という。短大入部時に先輩たちがつけたニックネームの"ガン"が気に入らず、最後まで「ケロ」を押し通した[2]

1978年の世界選手権で、本人はピンチサーバーかレシーバーのつもりだったというが、最終戦の対ソ連戦に敗れたあと、山田監督とのミーティングで「ピンチサーバーで入ったら、私にワンセッターやらせて下さい」と直訴した[3]。これが功を奏したか、その後の国際試合からは小川のワンセッターが実現、松田紀子の後継セッターとなり活躍することになった。

球歴

  • 全日本代表としての主な国際大会出場歴
  • 受賞歴
    • 1980年 - 第13回日本リーグ ベスト6
    • 1981年 - 第14回日本リーグ ベスト6
    • 1982年 - 第15回日本リーグ 敢闘賞、レシーブ賞、ベスト6

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 月刊バレーボール 1979年2月号 7ページ
  2. ^ 月刊バレーボール 1979年8月号 122ページ
  3. ^ 当時の全日本は主将の矢野広美がワンセッターかツーセッターを務めるフォーメーションだった。

関連項目

日本リーグ女子敢闘賞
日本リーグ
1960年代

67 高山鈴江 / 68-69 松村勝美 / 69-70 浜恵子

1970年代

70-71 浜恵子 / 71-72 飯田高子 / 72-73 岩原豊子 / 73-74 飯田高子 / 74-75 白井貴子 / 75-76 横山樹理 / 76-77 前田悦智子 / 77-78 横山樹理 / 78-79 江上由美 / 79-80 清水睦子

1980年代

80-81 佐藤裕子 / 81-82 小川かず子 / 82-83 水原理枝子 / 83-84 田渕良子 / 84-85 松並早苗 / 85-86 梅津一美 / 86-87 ローズ・メジャーズ / 87-88 大林素子 / 88-89 中西千枝子 / 89-90 松下晃子

1990年代

90-91 石掛美知代 / 91-92 高山佳代 / 92-93 中西千枝子 / 93-94 山内美加

Vリーグ
1990年代
2000年代
V・プレミア
リーグ
2000年代
2010年代
V.LEAGUE
DIVISION1
2010年代
2020年代
 
日本の旗 バレーボール全日本女子
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1978 世界選手権 (新東洋の魔女) 2 2位
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1980 モスクワ五輪 オリンピックの旗
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1981 ワールドカップ 2 2位
日本の旗 バレーボール全日本女子 - 1982 世界選手権
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