| 奈良安剛 | | |
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名前 |
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愛称 | ヤス、らっきょ |
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カタカナ | ナラ ヤスヨシ |
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ラテン文字 | NARA Yasuyoshi |
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基本情報 |
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国籍 | 日本 |
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生年月日 | (1982-12-12) 1982年12月12日(41歳) |
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出身地 | 神奈川県横須賀市 |
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身長 | 180cm |
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体重 | 70kg |
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■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
奈良 安剛(なら やすよし、1982年12月12日 - )は、神奈川県横須賀市出身の元サッカー選手。
来歴
兄の影響で5歳の頃からサッカーを始める。中学時代には横浜マリノス・ジュニアユースで全日本選手権出場を経験し、中学卒業後はサッカー強豪校として知られる桐蔭学園高校に進学。1年生の時から全国大会のメンバーに名を連ね、2000年の全国高校サッカー選手権大会ではエースFWとして活躍した。2001年、コンサドーレ札幌に新加入。札幌では主に中盤の選手として起用され、ボランチや攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーした。しかし、トップチーム出場は2002年の1試合のみにとどまり、同シーズン終了後に戦力外通告を受け退団。当時、Jリーグ入りを目指していた関東サッカーリーグ2部・ザスパ草津へ移籍した。草津では主にFWとしてプレー。得点源として活躍し、チームの優勝に貢献。チーム得点王になると同時に関東社会人リーグ2部のベストイレブンにも選ばれた。しかし、シーズン終了後に同チームを退団し、Jリーグ合同トライアウトに参加。Jリーグ復帰を目指したが叶わず、2004年はJFL・群馬FCホリコシへ入団した。ホリコシでも中心選手として活躍し、同年の天皇杯柏レイソル戦ではチームに退場者が出て苦しい中、決勝点を奪う活躍をみせ、プロチームからの勝利に貢献した。しかし、2005年は振るわず、シーズン途中に九州サッカーリーグ・ロッソ熊本へ移籍。ここでも結果を出すことが出来ず、シーズン終了後に北信越フットボールリーグ・松本山雅FCへ移籍した。松本でもなかなか結果を出せなかったが、2007年5月にツエーゲン金沢に移籍して本来の能力を発揮、10試合7ゴールと得点を量産、チームに貢献した。2008年のシーズンを終えて自主退団、2009年に引退を表明した。引退後は横浜F・マリノスの育成部のコーチに就任した。2023年現在関東学院大学監督。
所属クラブ
個人成績
国内大会個人成績 |
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 |
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 |
2001 | 札幌 | 24 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | | | | |
2002 | 1 | 0 | 0 | 0 | | | | |
2003 | 草津 | | 関東2部 | | | - | | | | |
2004 | ホリコシ | 25 | JFL | 26 | 7 | - | - | 26 | 7 |
2005 | 11 | 11 | 0 | - | - | 11 | 0 |
2005 | 熊本 | 27 | 九州 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 |
2006 | 松本 | 15 | 北信越1部 | 8 | 1 | - | 2 | 0 | 10 | 1 |
2007 | 25 | 1 | 0 | - | - | 1 | 0 |
金沢 | 26 | 10 | 7 | - | 3 | 1 | 13 | 8 |
2008 | 12 | 10 | - | 2 | 0 | 14 | 10 |
通算 | 日本 | J1 | 1 | 0 | | | | | 1 | 0 |
日本 | JFL | 37 | 7 | - | - | 37 | 7 |
日本 | 関東2部 | | | - | | | | |
日本 | 北信越1部 | 31 | 18 | - | 7 | 1 | 38 | 19 |
日本 | 九州 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 |
総通算 | 71 | 25 | 0 | 0 | 8 | 1 | 79 | 26 |
関連項目
出典
- 2001年10月10日 北海道新聞 コンサドーレ倶楽部より
- ツエーゲン金沢加入のニュースリリース(2007/5/7)
外部リンク