大慈恩寺

曖昧さ回避 この項目では、中国陝西省西安市の大慈恩寺について説明しています。千葉県成田市の大慈恩寺については「大慈恩寺 (成田市)」をご覧ください。
大慈恩寺
山門
大慈恩寺の位置(中華人民共和国内)
大慈恩寺
中華人民共和国における位置
基本情報
所在地 中華人民共和国の旗 中国陝西省西安市雁塔区
座標 北緯34度13分26秒 東経108度58分14秒 / 北緯34.22389度 東経108.97056度 / 34.22389; 108.97056座標: 北緯34度13分26秒 東経108度58分14秒 / 北緯34.22389度 東経108.97056度 / 34.22389; 108.97056
宗教 仏教
宗派 法相宗
建設
様式 中国建築
創設者 高宗
創設 648年
完成 1466年(再建)
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大慈恩寺と大雁塔

大慈恩寺(だいじおんじ)は、中国陝西省の古都、西安市南東郊外約4kmにある仏教寺院であり、三蔵法師玄奘ゆかりの寺として知られている。2011年認定の中国の5A級観光地大雁塔・大唐芙蓉園景区」の一部である[1][2]

その故地は、朝の都、長安城においては、東南部、左街の晋昌坊に当たる場所であった。

概要

の大興城にあった無漏寺(一説に浄覚寺)の故地に、648年(貞観22年)、皇太子の李治が、亡母(文徳皇后)追善のために建立したのが、大慈恩寺である。その名は「慈母の恩」に由来する。

各地から、良材を集め建てられ、その規模は、子院(塔頭)10数院を擁し、建築物は総数1,897間、公度僧だけで300名という大寺であった。帰朝した玄奘は、本寺の上座となり、寺地北西の翻経院で仏典の漢訳事業に従事した。当寺での、玄奘の訳経活動は、658年顕慶3年)までの11年に及び、合わせて40部余の経典が漢訳された。玄奘の弟子である基(窺基)は、師から相承した法相宗を宣教し、「慈恩大師」と呼ばれた。

652年永徽3年)、大雁塔が建立される。当初は、玄奘がインド西域から持参した仏像や経典を収蔵するための塔であった(大雁塔の項を参照)。

唐代半ば以降、大慈恩寺の境内には、大きな戯場があり、俗講や見世物が行われていた。また、牡丹の名所としても知られ、それを詠んだ多くの漢詩が知られ、藤も植えられていた。春には、寺が所有していた南にある通善坊の「杏園」で杏の花が、夏には、寺の南池で蓮の花が咲き、秋には、柿がなり、紅葉につつまれたと伝えられる。

845年会昌5年)の、武宗による会昌の廃仏の時には、大薦福寺・西明寺・大荘厳寺と共に、廃寺を免れた。

1550年嘉靖29年)に、現在の大慈恩寺が建立されたといわれる。

主な住僧

  • 玄奘三蔵 (602年-664年)
  • 那提三蔵
  • 基 (632年-682年)
  • 道世
  • 善導 (613年-681年)
  • 慧沼 (648年-714年)
  • 義福
  • 金剛智三蔵 (669年-741年)
  • 牟尼室利三蔵 (?-811年)

脚注

  1. ^ “陕西西安大雁塔·大唐芙蓉园景区”. www.mct.gov.cn. 中華人民共和国文化観光部 (2021年7月22日). 2023年2月3日閲覧。
  2. ^ ““且游且珍惜” 全国175个5A景区大赏(陕西篇)【4】--旅游频道_权威全面报道旅游--人民网” (中国語). travel.people.com.cn. 人民网 (2014年5月7日). 2023年2月3日閲覧。

参考文献

  • 足立喜六著『長安史蹟の研究』(1933年)
  • 関野貞常盤大定著『支那文化史蹟』(1940年)
  • 小野勝年著『中国隋唐長安・寺院史料集成』(法藏館、1989年)ISBN 4831874183 (史料篇) ISBN 4831874183 (解説篇)
  • 徐松撰、愛宕元訳注『唐両京城坊攷:長安と洛陽』(平凡社〈東洋文庫 577〉、1994年)ISBN 4582805779
  • 松浦友久、植木久行『長安洛陽物語』(集英社、1987年、ISBN9784081620029)
  • 段成式『酉陽雑俎』(平凡社〈東洋文庫〉、全5巻、今村与志雄訳注)

関連項目

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