伊達邦命

 
凡例
伊達邦命
時代 江戸時代後期
生誕 文政9年8月1日(1826年10月19日
死没 慶応元年8月8日(1865年9月27日
改名 小源吾(幼名)、邦命
別名 上野
墓所 岩手県奥州市の大安寺
主君 伊達斉邦慶邦
陸奥仙台藩
氏族 水沢伊達氏
父母 父:伊達宗衡、母:中村景貞娘・以与子
兄弟 愛姫・邦命留守邦寧
堀田正衡娘・紀子
邦寧
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伊達 邦命(だて くになか)は、江戸時代後期の武士陸奥国仙台藩一門第三席水沢伊達家12代(留守氏29代)当主。

生涯

文政9年(1826年)8月1日、水沢伊達家11代当主・伊達宗衡の長男として水沢にて誕生。幼名は小源吾。正室は堀田正衡娘・紀子。

天保10年(1839年)、12代藩主・伊達斉邦に御目見。同年8月元服し、一文字拝領して邦命と名乗る。嘉永5年(1852年)父の隠居により家督と知行1万6000石を相続し、水沢邑主となる。

安政元年(1854年)4月28日、13代藩主・伊達慶邦の帰国許可の謝使として江戸に下り、6月1日、江戸城で13代将軍・徳川家定に拝謁する。安政6年(1859年)3月13日、水沢柳町の失火による大火で町が焼失する。急遽仙台より水沢に戻り、倉庫を開いて領民を救済し、森林を伐採して木材を提供した。

慶応元年(1865年)8月8日死去。享年40。家督は実弟・邦寧が相続した。

人物

父・宗衡同様に、家中の学問の興隆に努め、家臣を江戸に派遣して西洋砲術を学ばせると共に、砲術家高島秋帆の弟子石原広信を登用した。また、剣客・藤田源四郎を召抱え、郷校立生館に講武所を新設して家臣に教授させた。

出典

  • 『留守系譜』
  • 『水沢町誌』

関連項目

水沢伊達家(留守氏)当主(1820年 - 1865年)
鎌倉時代から戦国時代まで

家景 - 家元 - 家広 - 恒家 - 家信 - 家助 - 家高 - 家冬 - 家任 - 家政 - 家明 - 詮家 - 持家 - 郡宗 - 藤王丸 - 景宗 - 顕宗 - 政景

江戸時代(水沢伊達家)

政景 - 宗利 - 宗直 - 宗景 - 村任 - 村景 - 村利 - 村儀 - 村善 - 村福 - 宗衡 - 邦命 - 邦寧 -