ブラッド・ペニー

ブラッド・ペニー
Brad Penny
デトロイト・タイガースでの現役時代
(2011年4月4日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 オクラホマ州ブラックウェル
生年月日 (1978-05-24) 1978年5月24日(46歳)
身長
体重
6' 4" =約193 cm
270 lb =約122.5 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1996年 MLBドラフト5巡目(全体155位)
初出場 MLB / 2000年4月7日
NPB / 2012年4月4日
最終出場 NPB / 2012年4月4日
MLB / 2014年9月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
パンアメリカン競技大会
1999 野球

ブラッドリー・ウェイン・ペニーBradley Wayne "Brad" Penny , 1978年5月24日 - )は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身の元プロ野球選手投手)。

経歴

プロ入り前

オクラホマ州ブラックウェルで誕生。州内のブロークンアロー高校野球部で活躍し州選抜に選ばれる。

プロ入りとダイヤモンドバックス傘下時代

1996年のドラフトで、2年後の1998年に創設される新球団アリゾナ・ダイヤモンドバックスから5巡目(全体155位)指名を受け、その日に入団契約を交わした。球団が正式にナ・リーグ加盟するまでの2年間は、アリゾナ・リーグ(ルーキー級)、ミッドウエスト・リーグ(A級)でプレー。

1998年にはA+級ハイデザート・マーベリックスに昇格してフルシーズン投げ、28試合164イニングで14勝5敗・防御率2.96・35与四死球・207奪三振という成績を残す。この活躍により、所属するカリフォルニアリーグにおいて、『ベースボール・アメリカ』選出のMVPと最優秀投手賞を受賞した[1]

マーリンズ時代

1999年7月8日にマット・マンタイとのトレードで、ブラディミール・ヌニェス(英語版)エイブラハム・ヌニェス(英語版)と共にフロリダ・マーリンズへ移籍した。7月から8月に開催されたウィニペグパンアメリカン競技大会の野球アメリカ合衆国代表に選出された[2]

2000年4月7日のロッキーズ戦でメジャーデビュー。この日は7イニングを投げ被安打6・失点1の好投で、吉井理人との投げ合いを制してデビュー戦を白星で飾った[3]。メジャー1年目は23試合で8勝7敗・防御率4.81という成績を収めた。

2001年はシーズン途中に8連敗を喫したこともあったが、最終的には自身初の2桁勝利を挙げる。

2002年は故障で8勝どまりだったが、シーズン終了後には日米野球にMLB選抜の一員として参加。

2003年には先発ローテーションの一員として14勝10敗・防御率4.13を記録した。この年はチームがワールドシリーズ優勝。ペニーはこのシリーズでヤンキース相手に2勝して、チームの世界一に貢献した。

ドジャース時代

ドジャース時代(2008年)

2004年7月30日にポール・ロデューカギレルモ・モタフアン・エンカーナシオンとのトレードで崔煕渉ビル・マーフィーと共にロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[4]。ドジャースはペニーをさらにトレードしてダイヤモンドバックスからランディ・ジョンソンを獲得しようと目論んでいたが、トレード拒否権を持つジョンソンがドジャースへの移籍に同意しなかったため、ペニーはドジャースに残留することになった[5]

2005年4月下旬から本格的にドジャースの先発ローテーション入り。同年6月、2006年からの3年総額2500万ドル(4年目は球団オプション)という条件で契約を延長した[6]

2006年は前半戦で10勝2敗・防御率2.91という成績を残し、オールスターゲームに初選出された。試合ではナ・リーグの先発投手を務め、初回はイチローデレク・ジーターデビッド・オルティーズを3者連続三振に斬ってとったが、2回にはブラディミール・ゲレーロにソロ本塁打を浴びている[7]。するとオールスター明けの後半戦は、バッテリーを組むラッセル・マーティンが「カーブとスプリッターの調子が今ひとつだった」と語るように不調に陥り[8]、6勝7敗・防御率6.25と失速した。シーズン16勝はリーグ最多(他5人とタイ)で、自身初のタイトルを獲得したが、ポストシーズンでは腰痛のために中継ぎに回された[9]

2007年は、マーティンが「変化球を思ったところに投げられる」と評するように好調を維持[8]。また、試合中盤の5回・6回にスタミナ切れを起こして大量失点するというケースも減り、結果として防御率が前年より1.30向上、クオリティ・スタートの数も前年の16から26まで増えるなど、安定感が増した[10]。勝利数は前年と同じ16勝だったが、勝率.800と被本塁打率0.39はメジャー全体で1位だった。

2008年は自身初となる開幕投手を務めたが、5月7日から7連敗を喫し、6月15日には右肩腱炎で故障者リスト入り[11]。復帰戦となった8月8日に勝ち星を挙げて連敗を止めたが、8月14日に再び右肩を痛め、2度目の故障者リスト入りを余儀なくされた[12]。9月に再度復帰したものの、レギュラーシーズンでは6勝・防御率6.27・51奪三振と自己最低の成績に終わり、ポストシーズンでは登板機会が与えられなかった。

シーズン終了後、ドジャースは925万ドルの契約延長オプションを行使せずに200万ドルの違約金を支払い、これによってペニーはフリーエージェント(FA)となった[13]

レッドソックス時代

レッドソックス時代(2009年)

2009年1月9日、年俸500万ドル+出来高300万ドルの1年契約でボストン・レッドソックスへ入団[13]。この年のレッドソックスの補強方針は、ジョン・スモルツや斎藤隆など前年に怪我で長期欠場したベテランを割安な価格でかき集めるというもので、ペニーの獲得もその動きの一環であった[14]。レッドソックスでは24試合に先発。しかし、初登板となった4月11日のエンゼルス戦で6回3失点で降板して以降、防御率が4.50より良くなることはなかった。8月21日のヤンキース戦で4回8失点KOとなると、チームはペニーに代わってティム・ウェイクフィールドをローテーションに入れた。結局、本人の希望もあり8月27日にレッドソックスは新加入のビリー・ワグナーと入れ替える形でペニーを解雇した[15]

ジャイアンツ時代

2009年8月31日にサンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ[16]。9月2日のフィリーズ戦で移籍後初登板し、シーズン終了まで6試合に先発して4勝1敗・防御率2.59と好投した。しかしチームは9月の1か月間を13勝14敗と負け越し、ワイルドカードを争っていたロッキーズに差をつけられてポストシーズン進出を逃した。オフの11月5日にFAとなった。

カージナルス時代

カージナルス時代(2010年)

2009年12月8日にセントルイス・カージナルスと750万ドル+出来高150万ドルの1年契約を結んだ[17]

2010年はカージナルスの先発ローテーション3番手としてのシーズン開幕を迎える。しかし5月21日のエンゼルス戦、3回裏に打席に立ったペニーはジョエル・ピネイロから満塁本塁打を放ったが、その直後の投球練習中に右広背筋の張りを訴え、4回表のマウンドに立つことなく途中交代[18]。その後故障者リスト入りし、復帰できないままシーズンを終えることとなった。オフの11月1日にFAとなった。

タイガース時代

2011年1月18日にデトロイト・タイガースと300万ドル+出来高300万ドルの1年契約を結んだ[19]。打線の援護に恵まれ2年振り6度目の2桁勝利を記録したが内容は悪く、後半戦は防御率6.53、WHIP1.80であった。結局、防御率(5.30)、WHIP(1.56)、奪三振率(3.67)、K/BB(1.19)、被打率(.306)、空振り率(11.7%)、被WH率(データ会社が集計した項目で、投球を芯で捕らえられた率)など多数の項目で両リーグワーストであった。シーズン後の10月30日にFAとなったが、獲得を示すMLB球団は無かった。

ソフトバンク時代

2012年2月5日、福岡ソフトバンクホークスと入団契約したと発表された[20]。年俸は2億2500万円(推定)[21]。背番号は31。メジャーで最多勝利をあげた事がある外国人枠投手の入団はNPB初[22]

開幕5戦目の4月4日の楽天戦(宮城)で来日初先発。雪が少し降る中、半袖で登板するも3回1/3で64球6失点(自責点4)被安打7四死球3、5盗塁され敗戦投手となる[23]。この日盗塁を決めた聖澤諒によるとたった2球でクセを見破ったという。試合後に、故障歴のある右肩の痛みを訴えたため、出場選手登録を抹消、同月6日に福岡市内の病院で右肩の精密検査を受けたところ、「異常なし」と診断された[24]。その後、本人の希望で米国に一時帰国、現地での再検査でも異常が見られなかったため[25]、同月下旬からは日本に戻って二軍で独自の調整を続けていたが、5月8日に退団が発表された[21]。退団はペニー本人からの申し入れによるもので、日本の環境に馴染めなかったことが理由とされる。球団では、退団の申し入れを認める条件として、今後日本の他球団でプレーしないことを明記した文書を交わしたという[26]

ジャイアンツ復帰

ソフトバンク退団からわずか10日後の5月18日サンフランシスコ・ジャイアンツとマイナー契約を結んだ[27]。AAA級フレズノ・グリズリーズで7試合に登板した後、6月29日にメジャーに昇格[28]、翌30日に復帰後初登板を果たした[29]。オフの10月29日にFAとなった。

無所属

2013年はどこの球団にも所属しなかった。

ロイヤルズ傘下時代

2014年1月15日にカンザスシティ・ロイヤルズとマイナー契約を結び[30]、1月16日に球団が発表した[31]。スプリングトレーニング中の3月4日のホワイトソックス戦に登板したが、2回を投げ8安打4失点と結果を残せず、3月7日に放出された[32]

マーリンズ復帰

2014年6月18日に古巣・マーリンズとマイナー契約を結んだ[33]。契約後はAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズで5試合に登板し、2勝2敗、防御率2.28だった。8月9日にマーリンズとメジャー契約を結んだ[34]。8月10日のレッズ戦にて約2年ぶりの勝ち星を得た。この年は8試合に登板し、2勝1敗、防御率6.58だった。オフの10月30日にFAとなった。

ホワイトソックス傘下時代

2014年12月16日にシカゴ・ホワイトソックスとマイナー契約を結び、2015年のスプリング・トレーニングに招待選手として参加した[35]

2015年シーズンはホワイトソックス傘下のAAA級シャーロット・ナイツに所属し、メジャー昇格はなかった。11月6日に自由契約となり、オフはベネズエラのウィンターリーグでプレーした。

ブルージェイズ傘下時代

2015年12月18日、トロント・ブルージェイズとマイナー契約を結び、2016年のスプリング・トレーニングに招待選手として参加することになった[36][37]

2016年3月18日、現役引退を表明した[38]

選手としての特徴

平均球速約93mph(約150km/h)の速球フォーシームシンカー)を主体に、人差し指を浮かせて親指と中指で握り強いトップスピンをかけるカーブ、スプリッターチェンジアップを投げ分ける[10]

肩の故障以降は球威が低下し、2011年には空振り率と被ウェルヒット率(アウトやヒットに関わらず相手打者に良い当たりを打たれた率)で先発投手中ワースト1位、ストライク率でも同ワースト3位を記録した[39]通算与四球率2.87と四球は少ないが、打者1人あたりの投球数は多い[40]

前半戦の通算防御率3.98に対し、後半戦は同4.62と例年後半戦に調子を落とすタイプで[41]、好不調の波も大きい[42]

奪三振はそれほど多くないがゴロで打たせて取ることが多く、2010年終了時点の通算GO/AO(フライアウトとゴロアウトの比率。数字が1より高ければゴロが多く、低ければフライが多い)は1.20である[43]

人物

故意死球や審判への暴言で数度退場処分を経験しているなどマウンド上では短気だが、普段はジョーク好きで陽気[10]

故障が多い上、万年体重オーバーで練習やトレーニングにも手を抜くタイプで、2009年に肩を故障した際にはドジャース三塁コーチのラリー・ボーワが「ドジャースにいた時、彼は肩の故障をいいことにランニングやトレーニングまでサボっていた。ミーティングにすら出てこなかった」と発言したため舌戦に発展しかけたことがあった[44]。 また、ツイッターでポニーと写っている写真を投稿し非難を浴びたこともあった。

交友関係

総合格闘家UFCライトヘビー級元王者のチャック・リデルと仲がいい。リデルが2009年4月18日のUFC 97でTKO負けを喫してからおよそ1か月後の5月中旬、レッドソックスがカリフォルニア州アナハイムへ遠征した際にヘヴィメタルバンド、スティール・パンサーのライブに二人で飛び入りし、肩を組んで歌っている様子が、ゴシップサイト "TMZ.com" によって報じられている[45]。また、同年10月にリデルがABCテレビリアリティ番組ダンシング・ウィズ・ザ・スターズ』に出演した際も、ペニーはスタジオ観覧に訪れている[46]

バットボーイ出場停止事件

2005年8月のマーリンズ戦、ペニーは試合前にバットボーイに「牛乳を1ガロン飲み干し、1時間吐き出さなかったら500ドルやる」と提案。これに応じたバットボーイは、牛乳を無断で飲み干した。その後吐き出したため500ドルは支払われなかった上、「牛乳は球団の所有物」として、ペニーは処分されなかったが、バットボーイが球団から6試合出場停止を言い渡された[47]。その後ペニーがその処分に「なぜミルクで6試合も出場停止なんだ」と異議を発したため、全米牛乳普及協会が「これからは暴飲をやめ、毎日コップ3杯正しく牛乳を飲むこと」を条件に、バットボーイがもらい損なった500ドルと6試合分の賃金を提供すると申し出て話題になった[10]

ソフトバンク時代に対して

わずか3か月の在籍だったソフトバンク時代(2012年前半)について、退団直後にはTwitterで堂々と「アメリカに戻れて最高だ!」と発言したり[48]、インタビューにおいて「2年くらいやれるかと思ったが甘かった。全く楽しくなかった」と答えるなど[28]否定的な発言を繰り返していたが、2014年には一転して「怪我をしなければ今も日本でプレーしていたかも。日本は楽しかったし福岡はいい街だ」と語っている[49]

2012年5月10日のAP通信はソフトバンクを退団したペニー記事を「日本を失望させた最新の大物選手」のタイトルで世界に配信した。同日、東京発で打電したもので「肩が痛いと不満を言い、マウンドが軟らかすぎるとケチをつけた。チームはメジャーの実績を考慮し、独自調整まで認めてくれたのに」と身勝手ぶりを酷評。ダン・ミセリブライアン・バニスターらと並べて、「ダメ助っ人」の1人と紹介した[50]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
2000 FLA 23 22 0 0 0 8 7 0 0 .533 529 119.2 120 13 60 4 5 80 4 1 70 64 4.81 1.50
2001 31 31 1 1 0 10 10 0 0 .500 833 205.0 183 15 54 3 7 154 2 0 92 84 3.69 1.16
2002 24 24 1 1 0 8 7 0 0 .533 574 129.1 148 18 50 7 1 93 4 0 76 67 4.66 1.53
2003 32 32 0 0 0 14 10 0 0 .583 811 196.1 195 21 56 6 3 138 3 4 96 90 4.13 1.28
2004 21 21 0 0 0 8 8 0 0 .500 545 131.1 124 10 39 6 3 105 5 0 50 46 3.15 1.24
LAD 3 3 0 0 0 1 2 0 0 .333 45 11.2 6 2 6 0 0 6 0 0 5 4 3.09 1.03
'04計 24 24 0 0 0 9 10 0 0 .474 590 143.0 130 12 45 6 3 111 5 0 55 50 3.15 1.22
2005 29 29 1 0 1 7 9 0 0 .438 738 175.1 185 17 41 2 3 122 3 0 78 76 3.90 1.29
2006 34 33 0 0 0 16 9 0 1 .640 813 189.0 206 19 54 4 9 148 6 0 94 91 4.33 1.38
2007 33 33 0 0 0 16 4 0 0 .800 865 208.0 199 9 73 2 5 135 6 0 75 70 3.03 1.31
2008 19 17 0 0 0 6 9 0 0 .400 426 94.2 112 13 42 0 3 51 1 1 68 66 6.27 1.63
2009 BOS 24 24 0 0 0 7 8 0 0 .467 590 131.2 160 17 42 0 5 89 4 0 89 82 5.61 1.53
SF 6 6 1 0 0 4 1 0 0 .800 161 41.2 31 5 9 0 0 20 2 0 13 12 2.59 0.96
'09計 30 30 1 0 0 11 9 0 0 .550 751 173.1 191 22 51 0 5 109 6 0 102 94 4.88 1.40
2010 STL 9 9 0 0 0 3 4 0 0 .429 232 55.2 63 4 9 1 3 35 1 0 25 20 3.23 1.29
2011 DET 31 31 0 0 0 11 11 0 0 .500 803 181.2 222 24 62 1 4 74 9 0 117 107 5.30 1.56
2012 ソフトバンク 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 19 3.1 7 0 3 0 0 1 1 0 6 4 10.80 3.03
SF 22 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 133 28.0 42 4 9 2 1 10 2 0 22 19 6.11 1.82
2014 MIA 8 4 0 0 0 2 1 0 0 .667 120 26.0 34 3 13 0 1 13 2 0 20 19 6.58 1.81
MLB:14年 349 319 4 2 1 121 101 0 3 .545 8218 1925.0 2030 194 619 38 53 1273 54 6 990 917 4.29 1.38
NPB:1年 1 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 19 3.1 7 0 3 0 0 1 1 0 6 4 10.80 3.03
  • 2014年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

MLB
  • 最多勝利:1回(2006年)

記録

MLB初記録
MLBその他の記録
NPB初記録

背番号

  • 28(2000年 - 2001年)
  • 31(2001年 - 2004年、2005年 - 2008年、2009年、2011年 - 2012年)
  • 30(2004年)
  • 36(2009年)
  • 33(2010年、2014年)

代表歴

  • 1999年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表

脚注

  1. ^ "1998 Career Highlights," SFGiants.com. 2009年9月19日閲覧。
  2. ^ 1999 Pan American Team Roster USABaseball.com: The Official Site of USA Baseball (英語) (2011年5月18日) 2017年7月3日閲覧
  3. ^ "Apr 7, 2000, Rockies at Marlins Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2010年10月30日閲覧。
  4. ^ “Dodgers acquire Penny, Choi and Murphy from Florida”. MLB.com Dodgers Press Release (2004年7月30日). 2014年7月13日閲覧。
  5. ^ 菊地靖 「ドジャーブルーの危険な賭け」 『月刊スラッガー』2004年11月号、日本スポーツ企画出版社、2004年、雑誌15509-11、38-41頁。
  6. ^ Associated Press, "Penny to get $25M over next three seasons," ESPN.com, June 12, 2005. 2009年9月19日閲覧。
  7. ^ "Jul 11, 2006, AL All-Stars at NL All-Stars Box Score and Play by Play," Baseball-Reference.com. 2009年9月19日閲覧。
  8. ^ a b 三尾圭 「MLB30球団最新レポート&全選手個人成績 ロサンゼルス・ドジャース/LAD 絶好調のエースに寄せられるチームメイトからの賛辞」 『月刊スラッガー』2007年7月号、日本スポーツ企画出版社、2007年、雑誌15509-7、87頁。
  9. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、407頁。ISBN 978-4-331-51213-5。 
  10. ^ a b c d 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、440頁。ISBN 978-4-331-51300-2。 
  11. ^ Brandon Harris / MLB.com, "Dodgers place Penny on 15-day DL / Right-hander dealing with inflammation, tendinitis in shoulder," dodgers.com, June 17, 2008. 2009年9月19日閲覧。
  12. ^ Ken Gurnick / MLB.com, "Penny, Wade on DL with shoulder woes / Stults, Sturtze brought up to assist beleaguered bullpen," dodgers.com, August 14, 2008. 2009年9月19日閲覧。
  13. ^ a b Ian Browne / MLB.com, "Penny deal with Red Sox official / With physical passed, righty is another power arm in Boston's deep rotation," redsox.com, January 9, 2009. 2009年9月19日閲覧。
  14. ^ Michael Silverman / Boston Herald 「BOSTON RED SOX 『キズ物FAに福あり?』」 木村愛訳、『月刊スラッガー』2009年5月号、日本スポーツ企画出版社、2009年、雑誌15509-5、22-25頁。
  15. ^ John Barone / MLB.com, "Penny's Sox tenure comes to an end / Hurler granted release in advance of Wagner's arrival," redsox.com, August 27, 2009. 2009年9月19日閲覧。
  16. ^ Buster Olney, "Penny, Giants agree to deal," ESPN.com, August 31, 2009. 2009年9月19日閲覧。
  17. ^ Associated Press, "Penny, Cardinals complete deal," ESPN.com, December 8, 2009. 2010年10月30日閲覧。
  18. ^ Matthew Leach / MLB.com, "Penny hits grand slam, then exits early / Hurler strains lat; Cards to decide on potential DL stint Saturday," cardinals.com, May 22, 2010. 2010年10月30日閲覧。
  19. ^ Jason Beck / MLB.com, "Tigers finalize Penny deal, designate Galarraga," tigers.com, January 18, 2011. 2011年3月25日閲覧。
  20. ^ “ブラッド・ペニー選手入団のお知らせ”. 福岡ソフトバンクホークス (2012年2月5日). 2012年2月5日閲覧。
  21. ^ a b “【ソフトB】119勝のペニー64球退団”. 日刊スポーツ (2012年5月8日). 2012年5月8日閲覧。
  22. ^ 福岡ソフトバンクホークス『週刊ベースボール』2012年3月19日号、ベースボール・マガジン社、2012年、雑誌20443-3/19, 36頁。厳密には過去に中日に所属したドン・ニューカムもメジャーで最多勝を獲得した経験があるが、NPBでは野手として登録されていた。
  23. ^ 5つの盗塁のうち3つを成功させた聖澤諒は、後に、ペニーが牽制球を入れる際の癖を見抜いていたことを明かしている。
  24. ^ “【ソフトB】右肩痛ペニーは異常なし”. 日刊スポーツ (2012年4月6日). 2012年5月8日閲覧。
  25. ^ “【ソフトB】ペニー米国でも「異常なし」”. 日刊スポーツ (2012年4月14日). 2012年5月8日閲覧。
  26. ^ “1球356万円…ペニー退団 日本になじめず本人が希望”. スポーツニッポン (2012年5月9日). 2012年5月8日閲覧。
  27. ^ “ソフトB退団ペニーがジ軍とマイナー契約”. 日刊スポーツ (2012年5月19日). 2012年5月19日閲覧。
  28. ^ a b ソフトB退団のペニーがメジャー昇格 日刊スポーツ 2012年6月30日
  29. ^ ペニー復帰戦で好投 2回1/3を完全 日刊スポーツ 2012年7月1日
  30. ^ AJ Cassavell (2014年1月15日). “Penny, Royals agree to Minor League contract”. MLB.com. 2014年1月16日閲覧。
  31. ^ “Royals sign veteran pitcher Brad Penny to Minor League deal”. MLB.com Royals Press Release (2014年1月16日). 2014年1月17日閲覧。
  32. ^ Dick Kaegel (2014年3月7日). “In camp on Minors deal, Penny released”. MLB.com. 2014年3月8日閲覧。
  33. ^ “Penny agrees to minor-league contract with Marlins”. ESPN.com (2014年6月18日). 2014年6月19日閲覧。
  34. ^ Joe Frisaro (2014年8月9日). “Marlins land pair of Minors relievers for Turner”. MLB.com. 2014年8月10日閲覧。
  35. ^ White Sox, Penny reportedly agree to Minors deal
  36. ^ “Blue Jays add pitcher Brad Penny on minor-league deal”. Sportsnet network (Rogers Media). (2015年12月17日). http://www.sportsnet.ca/baseball/mlb/report-blue-jays-add-pitcher-penny-on-minor-league-deal/ 2015年12月24日閲覧。 
  37. ^ “Transactions | bluejays.com”. MLB.com (2015年12月18日). 2015年12月24日閲覧。
  38. ^ “元ソフトバンクの右腕B.ペニーが現役引退を表明”. ISM. (2016年3月19日). オリジナルの2016年3月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160322074456/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160319-00000210-ism-base 2016年3月21日閲覧。 
  39. ^ MLB投手白書 主要250投手ピッチ・アナリシス/先発投手編 主要147先発投手 持ち球一覧/球種別平均球速 『月刊スラッガー』2012年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、36頁。
  40. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、407頁。ISBN 978-4-331-51213-5。 
  41. ^ 『月刊スラッガー』2008年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、87頁。
  42. ^ 『月刊スラッガー』2006年4月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-4、87頁。
  43. ^ "Brad Penny Pitching Statistics and History," Baseball-Reference.com. 2010年10月30日閲覧。
  44. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』廣済堂出版、2010年、327頁。ISBN 978-4-331-51439-9。 
  45. ^ TMZ Staff, "Liddell & Baseballers -- Please Stop Believin'!," TMZ.com, May 12, 2009. 2009年10月14日閲覧。
  46. ^ Chuck Liddell (as told to Laura Lane), "Chuck Liddell's dancing diary, Week 4," ESPN.com, October 12, 2009. 2009年10月14日閲覧。
  47. ^ 田尻賢誉 「お騒がせ男大集合」 『月刊スラッガー』2005年12月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌15509-12、54頁。
  48. ^ “ペニー本人のツイート”. Twitter (2012年5月8日). 2014年9月4日閲覧。
  49. ^ “ペニー「日本楽しかったし福岡はいい街」”. 日刊スポーツ (2014年2月26日). 2014年9月4日閲覧。
  50. ^ 「ペニーは日本失望させた」APダメ出し 日刊スポーツ 2012年5月12日7時31分 紙面から (2021年9月27日閲覧)

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ブラッド・ペニーに関連するカテゴリがあります。
  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • Brad Penny stats MiLB.com (英語)
  • 個人年度別成績 ペニー - NPB.jp 日本野球機構
  • Brad Penny (@BradPenny) - X(旧Twitter)
ナショナルリーグ最多勝投手
1870年代
1880年代
1890年代
1900年代
1910年代
1920年代
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
フロリダ・マーリンズ 2003年のワールドシリーズ ロースター
   

監督
15 ジャック・マキーオン

コーチ
13 オジー・ギーエン(三塁)
16 ペリー・ヒル(一塁)
23 ダグ・デービス(ベンチ)
26 ウェイン・ローゼンタール(投手)
28 ビル・ロビンソン(打撃)
47 ジェフ・コックス(ブルペン)
67 ピエール・アーセノールト(ブルペン)

ロサンゼルス・ドジャース開幕投手
1880年代
  • 84 サム・キンバー
  • 85 ジョン・ハーキンズ
  • 86 ジョン・ハーキンズ
  • 87 ヘンリー・ポーター
  • 88 ボブ・カラザーズ
  • 89 ミッキー・ヒューズ
1890年代
  • 90 ボブ・カラザーズ
  • 91 ジョージ・ヘミング
  • 92 デーブ・ファウツ
  • 93 エド・ステイン
  • 94 ブリックヤード・ケネディ
  • 95 ブリックヤード・ケネディ
  • 96 ブリックヤード・ケネディ
  • 97 ハーレイ・ペイン
  • 98 ブリックヤード・ケネディ
  • 99 ブリックヤード・ケネディ
1900年代
  • 00 ブリックヤード・ケネディ
  • 01 ビル・ドノバン
  • 02 ビル・ドノバン
  • 03 ヘンリー・シュミット
  • 04 オスカー・ジョーンズ
  • 05 オスカー・ジョーンズ
  • 06 ハリー・マッキンタイア
  • 07 エルマー・ストリックレット
  • 08 ナップ・ラッカー
  • 09 カイザー・ウィルヘルム
1910年代
  • 10 ナップ・ラッカー
  • 11 サイ・バーガー
  • 12 ナップ・ラッカー
  • 13 ナップ・ラッカー
  • 14 エド・ロイルバック
  • 15 ジェフ・フェファー
  • 16 ラリー・チーニー
  • 17 ウィーザー・デル
  • 18 ルーブ・マーカード
  • 19 レオン・カドール
1920年代
  • レオン・カドール
  • 21 レオン・カドール
  • 22 ダッチ・ルエザー
  • 23 ダッチ・ルエザー
  • 24 ダッチ・ルエザー
  • 25 ダジー・ヴァンス
  • 26 ジェシー・ペティー
  • 27 ジェシー・ペティー
  • 28 ジェシー・ペティー
  • 29 ワティー・クラーク
1930年代
  • 30 ワティー・クラーク
  • 31 ジャック・クイン
  • 32 ウェイト・ホイト
  • 33 ワティー・クラーク
  • 34 バン・マンゴー
  • 35 バン・マンゴー
  • 36 ジョージ・アーンショウ
  • 37 バン・マンゴー
  • 38 バン・マンゴー
  • 39 レッド・エバンズ
1940年代
  • 40 ウィット・ワイヤット
  • 41 ウィット・ワイヤット
  • 42 カート・デイビス
  • 43 エド・ヘッド
  • 44 ハル・グレッグ
  • 45 カート・デイビス
  • 46 ハル・グレッグ
  • 47 ジョー・ハッテン
  • 48 レックス・バーニー
  • 49 ジョー・ハッテン
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
アメリカ合衆国の旗 野球アメリカ合衆国代表 - 1999年パンアメリカン競技大会野球競技 2 2位 準優勝
監督
コーチ
  • 11 マーセル・ラッチマン (投手コーチ)
  • 9 レジー・スミス (アシスタントコーチ)
  • 4 ジャッキー・ムーア (アシスタントコーチ)
  • 13 ジョー・カーボン (補助コーチ)
  • 6 ディック・クーク (補助コーチ)
投手
捕手
内野手
外野手