これは
アイスランド人の名前です。姓にみえる部分は
父称あるいは
母称であり、
家の名前としての
姓ではありません。この記事で取り扱っている人物は、正式には
個人名の
ダグルで呼ばれます。(Template:アイスランド人の名前)
ダグル・シグルドソン(Dagur Sigurðsson、1973年4月3日 - )は、アイスランドのレイキャヴィーク出身の元ハンドボール選手、指導者。元アイスランド代表キャプテン。かつて、ハンドボール日本男子代表の監督を務めていた[1]。
来歴
アイスランドではレイキャヴィークのヴァルル・レイキャヴィーク(is:Knattspyrnufélagið_Valur)に所属、5度のリーグ優勝に貢献した。1996年、ドイツ・ヴッパータールにある当時2部リーグのLTVヴッパータール(de:LTV Wuppertal)に移籍、ポストバックとして1部リーグ昇格に貢献した。2000年から日本リーグの湧永製薬(ワクナガレオリック)に移籍、全日本実業団選手権優勝に貢献した。
一方、代表ではキャプテンとして100試合以上出場、1997年世界選手権5位、2002年欧州選手権4位、2004年アテネ五輪9位に貢献した。
2003年からオーストリア・ブレゲンツのA1ブレゲンツ(de:A1 Bregenz)に選手兼任コーチとして在籍、数々の勝利に導いた。2007年からヴァルル・レイキャヴィークに戻り選手兼任監督として活躍。2008年3月からオーストリア代表監督と兼務した。
2009年、ベルリンにあるドイツ1部、フュクセ・ベルリンの監督に就任。その後、2014年から3年間ハンドボールドイツ男子代表監督を務める。
2017年よりハンドボール日本男子代表監督に就任したが辞任し、2024年2月29日にハンドボールクロアチア男子代表の監督に就任した[2]。
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 混乱…ハンドボール男子日本代表監督が突然辞任 パリ五輪切符獲得の名将ダグル・シグルドソン、契約残すも「他国の監督に就任したい」 2024年2月9日 中日スポーツ閲覧。
- ^ シグルドソン、クロアチア監督に 日本男子から退任申し出―ハンドボール 時事通信 2024年2月29日閲覧。
外部リンク
ウィキメディア・コモンズには、ダグル・シグルドソンに関連するメディアがあります。
- 選手アルバム(湧永製薬公式(Internet Archive))
ハンドボール日本代表男子監督 |
---|
|
---|
監督・コーチ | - ダグル・シグルドソン (監督)
- 舎利弗学 (コーチ)
- 北林健治 (GKコーチ)
|
---|
選手 | |
---|
|
---|
監督・コーチ | - ダグル・シグルドソン (監督)
- 舎利弗学 (アシスタントコーチ)
- アントニ・パレツキ (GKコーチ)
- 北林健治 (GKコーチ)
|
---|
選手 | |
---|
|