コンコルド広場
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コンコルド広場(コンコルドひろば、フランス語: Place de la Concorde)は、フランス・パリ8区にある大広場。パリのセーヌ川右岸(北岸)の中心部界隈に位置し、テュイルリー庭園と、同広場が起点となるシャンゼリゼ通りとに挟まれた場所にある。同広場から東側に向かうとパリの行政区画上1区にあたる。2024年パリオリンピックではスケートボード、自転車のBMXフリースタイル、バスケットボールの3x3、ブレイキンの会場として使用される。
沿革
1755年、アンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計され、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたため「ルイ15世広場」と呼ばれていた[1]。その後、フランス革命の勃発により騎馬像は取り払われ、名前も「革命広場」に改められた。フランス革命中には、ルイ16世やマリー・アントワネットへのギロチン刑が行われた場所でもあった。
1795年のヴァンデミエールの反乱において、当時ポール・バラス軍司令官副官であったナポレオン・ボナパルトが王党派を鎮圧後、現在の「コンコルド広場」という名前で呼ばれ始める(公式名になったのは1830年)。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5c/Concorde_Pano.jpg/500px-Concorde_Pano.jpg)
オベリスク
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/87/Obelisk_Luxor_Tempel.jpg/200px-Obelisk_Luxor_Tempel.jpg)
広場の中心部にはエジプトのルクソール神殿のオベリスクが置かれているが、これはムハンマド・アリー朝エジプト国王 ムハンマド・アリーから贈られ1836年に運ばれたものである。
アクセス
メトロ1、8、12号線 コンコルド駅(Concorde)下車
脚注
関連項目
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4a/Commons-logo.svg/30px-Commons-logo.svg.png)
- パリの歴史軸
- 国際自動車連盟
- コンコルド協定
- オベリスク
- ルクソール神殿
- en:Luxor Obelisk(クレオパトラの針)
- 2024年パリパラリンピック - 当広場は開会式場となる予定
- ホテル・ド・クリオン - 広場に面した元王宮を使用するホテル
座標: 北緯48度51分56秒 東経2度19分16秒 / 北緯48.86556度 東経2.32111度 / 48.86556; 2.32111
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