アナクレトゥス2世 (対立教皇)

アナクレトゥス2世
第26代 ローマ対立教皇
教皇就任 1130年
教皇離任 1138年1月25日
先代 ケレスティヌス2世
次代 ウィクトル4世
個人情報
死去 1138年1月25日
原国籍 イタリア
その他のアナクレトゥス
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アナクレトゥス2世(? - 1138年1月25日)は、ローマ教皇インノケンティウス2世の対立教皇である(在位:1130年2月14日 - 1138年1月25日)。本名はピエトロ・ピエルレオニ(ピエトロ・ピエルレオーニとも)。

生涯

ローマの出身で、フランスパリで勉学した後、クリュニー修道院修道士となる。1111年1112年1116年とも)にパスカリス2世によって助祭枢機卿に叙任される。以後も歴代教皇の側近として信任が厚く、1120年にはカリストゥス2世により司祭枢機卿に昇進、イングランド・フランスへ教皇特使として派遣されたこともある。そのため1130年2月にホノリウス2世が死去すると教皇候補に上げられた[1][2]

しかしピエルレオニの反対派である少数の枢機卿らはインノケンティウス2世を教皇として擁立、反発した多くの枢機卿やローマ市民から教皇アナクレトゥス2世に擁立されたピエルレオニは、自家の財力でローマを掌中に収めインノケンティウス2世を逃亡させ、教会は分裂状態になった[1][2]。フランスへ亡命したインノケンティウス2世には当時神学者として権威のあったクレルヴォーのベルナルドゥスローマ王ロタール3世、フランス王ルイ6世、東ローマ帝国皇帝ヨハネス2世コムネノスの支持があったが、アナクレトゥス2世はシチリアルッジェーロ2世をシチリア王戴冠と引き換えに支持を取り付け、ローマを確保し続けた。アキテーヌ公ギヨーム10世も支持者だった[3][4][5]

1133年、ロタール3世が神聖ローマ皇帝としての戴冠を条件にしてインノケンティウス2世を支持してローマに進軍、インノケンティウス2世もローマに帰還した。だが戴冠式を終えたロタール3世が帰国するとアナクレトゥス2世の支持勢力がインノケンティウス2世を再度追放、教会は分裂したままになった。アナクレトゥス2世本人は在位中ずっとレオ城に監禁状態に置かれたままで、1138年1月25日に死去した。支持者たちはウィクトル4世を次の対立教皇に擁立したが短期間で退位、1139年第2ラテラン公会議開催とルッジェーロ2世の王位承認でインノケンティウス2世はようやく教会分裂を終結させた[1][6]

脚注

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参考文献

古代
  • ヒッポリュトス217-235(教皇 カリストゥス1世)
  • ノウァティアヌス251-258(教皇 コルネリウス)
  • フェリクス2世355-365(教皇 リベリウス)
  • ウルシヌス366-367(教皇 ダマスス1世)
  • エウラリウス418-419(教皇 ボニファティウス1世)
中世
  • ラウレンティウス498-499、501-506(教皇 シンマクス)
  • ディオスクルス530(教皇 ボニファティウス2世)
  • テオドルス687(教皇 セルギウス1世)
  • パスカリス687(教皇 セルギウス1世)
  • コンスタンティヌス2世767-768(教皇 ステファヌス3世)
  • フィリップス768(教皇 ステファヌス3世)
  • ヨハネス8世844(教皇 セルギウス2世)
  • アナスタシウス3世ビブリオテカリウス855(教皇 ベネディクトゥス3世)
  • クリストフォルス903-904(教皇 レオ5世)
  • ボニファティウス7世974、984-985(教皇 ベネディクトゥス7世)
  • ヨハネス16世997-998(教皇 グレゴリウス5世)
  • グレゴリウス6世1012(教皇 ベネディクトゥス8世)
  • ベネディクトゥス10世1058-1059(教皇 ニコラウス2世)
  • ホノリウス2世1061-1064(教皇 アレクサンデル2世)
  • クレメンス3世1080、1084-1100(教皇 グレゴリウス7世)
  • テオドリクス1100-1101(教皇 パスカリス2世)
  • アルベルトゥス1101(教皇 パスカリス2世)
  • シルウェステル4世1105-1111(教皇 パスカリス2世)
  • グレゴリウス8世1012(教皇 ゲラシウス2世)
  • ケレスティヌス2世1124(教皇 ホノリウス2世)
  • アナクレトゥス2世1130-1138(教皇 インノケンティウス2世)
  • ウィクトル4世(先代)1138(教皇 インノケンティウス2世)
  • ウィクトル4世(後代)1159-1164(教皇 アレクサンデル3世)
  • パスカリス3世1164-1168(教皇 アレクサンデル3世)
  • カリストゥス3世1168-1178(教皇 アレクサンデル3世)
  • インノケンティウス3世1179-1180(教皇 アレクサンデル3世)
  • ニコラウス5世1326-1330(教皇 ヨハネス22世)
  • クレメンス7世1378-1394(教皇 ウルバヌス6世)
  • ベネディクトゥス13世1394-1423(教皇 ボニファティウス9世)
  • アレクサンデル5世1409-1410(教皇 グレゴリウス12世)
  • ヨハネス23世1410-1415(教皇 グレゴリウス12世)
  • クレメンス8世1423-1429(教皇 マルティヌス5世)
  • ベネディクトゥス14世(先代)1424-1429(教皇 マルティヌス5世)
  • ベネディクトゥス14世(後代)1430-1437(教皇 マルティヌス5世)
  • フェリクス5世1439-1449(教皇 エウゲニウス4世)
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